〈“歴史歪曲”の現場から〉大阪国際平和センター「ピースおおさか」
2015年06月26日 16:54 文化・歴史「戦争賛美」に募る危機感/失われた「平和の学び場」
アジア最大の兵器工場である「大阪砲兵工廠」跡地、大阪城公園内に位置する「ピースおおさか」。市民たちの平和への希求によって1991年にオープンして以来、188万人にのぼる人々に戦争の実態を伝えた平和資料館だったが、リニューアルを迎えた今日、その「設置理念」が有名無実化されようとしている。
展示リニューアルの経過
「ピースおおさか」は、戦争の悲惨さを次世代に伝え、平和の尊さを訴えることを目的に大阪府と大阪市が共同出資した財団によって1991年9月17日に開館。1977年から13回にわたる市民団体の要請活動によって設立された「大阪府平和祈念戦争資料室」が前身となっている。開館以来、「戦場となった中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、また植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大な危害を与えたことを私たちは忘れません」との設置理念のもと、日本の被害と、加害の歴史の両方を継承してきた。しかし、1990年代後半から、日本の加害行為を展示した展示室B「15年戦争」に対しての「自虐史観だ」などの府議・市議、右翼団体による抗議や大阪府知事の意向もあり、2013年4月、「ピースおおさか」は突如展示室Bを削除する今回のリニューアル案を発表。2014年2月には「展示にあたっての留意点」として「政府の統一的な見解を踏まえつつ」展示すると発表した。その後、2014年9月に一時閉館し、4月30日にリニューアルオープン。その際に、展示室B「15年戦争」の「朝鮮の植民地化」における皇民化政策や強制連行・強制労働を写真や図解などで説明した展示、「中国大陸への侵略」、「東南アジア諸国の受難」などの説明パネル、日本軍の加害行為に関する写真、資料数十点の展示が撤去された。「ピースおおさか」は、「子ども目線」「大阪中心」を打ち出し、大阪空襲に特化した資料館へと変わった。戦後補償問題や平和運動に取り組む10の市民団体は2013年4月28日に「『ピースおおさか』の危機を考える連絡会」を立ち上げ、加害展示の撤去に反対する署名1万2000余筆を大阪市の橋下徹市長、大阪府の松井一郎知事宛てに提出するなど、抗議活動を続けている。
消された加害の歴史