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〈月間平壌レポート 12月〉3年前の12月に思いを馳せ

2015年01月09日 16:52 共和国

総書記の遺志を受け継ぐ決意

【平壌発=金里映】金正日総書記の逝去3周年を迎えた昨年12月、平壌は厳かな追悼の雰囲気に包まれた。金正恩第1書記の参席の下、中央追悼大会が行われたほか、各地でも追悼行事が挙行された。

全国一斉に追悼行事

金正日総書記は、金日成主席の逝去後、米国をはじめとする敵対勢力が朝鮮に対する孤立・圧殺策動を推し進めた1990年代中頃、先軍政治を提唱し、人民の力に依拠して国難を乗り越えてきた。

昨年12月17日正午、人々は一斉に黙とうした

昨年12月17日正午、人々は一斉に黙とうした

総書記の永訣式が行われた2011年12月28日、降りしきる雪の中、人々は霊柩車が走る40余kmの沿道の上に着ていたコートを脱いで敷き詰め、総書記の最期を涙で見届けた。最も厳しい時代に直面しながらも祖国を守るために奔走してきた総書記が、積み重なった精神肉体的疲労によって列車の中で殉職したという突然の悲報は、人々をそのような行動に駆り立てた。

3年という月日が経った今なお、その時の光景を思い出して涙する人々は多い。総書記の遺志を受け継ぎ祖国を守り発展させていこうとする思いは、人々の心に深く刻まれている。

昨年12月17日、金正日総書記が生前の姿で安置されている錦繍山太陽宮殿で行われた金正日総書記逝去3周年中央追悼大会は、強盛国家建設と人民生活の向上のために奔走し続けた金正日総書記の生涯とその業績を思い起こすとともに、総書記の遺訓を貫徹していく決意を共有する場となった。

この日平壌市内の各所には弔旗が掲げられていた。金日成主席と金正日総書記の銅像と太陽像に進呈する花籠と花束を持って歩く人々の姿も多く見られた。

総書記との思い出について語る帰国同胞のリュ・スンリョルさん

総書記との思い出について語る帰国同胞のリュ・スンリョルさん

正午、全国で機関車と船舶、自動車が一斉に鳴らした警笛がこだました。全国の人々が、平壌の錦繍山太陽宮殿を仰ぎ、3分間黙とうした。この時、走行していたバスや車も停車し、運転手と乗客が外に出てきて黙とうをささげた。

夕方には東平壌大劇場で回顧音楽会が行われた。音楽会では、かつて金正日総書記と会見した人々も出演。その中には、日本に生まれ1959年に帰国したリュ・スンリョルさん(金策工業総合大学・教授、博士)の姿もあった。

リュさんは、大学教員として総書記の導きを何度も受けてきた自身の体験や思いについて、舞台の上から人々に語りかけていた。

一方、朝鮮中央テレビは午前0時から丸一日の間放送を行った。通常、平日(1、11、21日を除く)は午後3時から10時半頃までの放送だが、この日は異例の長時間放送だった。総書記にまつわる歌と逸話を紹介する特別番組や記録映画、中央追悼大会の録画中継などが放映され、追悼の雰囲気を伝えていた。

早めの冬到来

昨年12月10日、平壌にこの冬初めての雪が降り、美しい雪景色が広がった。この日は午後から夜遅くにかけて雪が降り続いた。気象水文局によると、積雪量は約3㌢だったという。

寒さに身を縮めながら歩く大人たちとは対照的に、子どもたちはせっせと雪だるまを作ったり、雪合戦やソリ遊びをして初雪を楽しんでいた。翌朝、路面は凍結し、通勤・通学の足に少なからず影響が出た。そのため、タクシーを利用する人も多かった。

初雪が降った昨年12月10日夜、雪遊びをする子どもたち

初雪が降った昨年12月10日夜、雪遊びをする子どもたち

平壌は昨年11月下旬に比較的暖かい日が続き、最高気温が10℃以上の日も多かったが、12月1日からは一気に寒くなり、最高気温が零下になった。

朝鮮では昼間の最高気温が零下になる時期を指して冬というが、今シーズンは朝鮮の全般的地方で12月1日が冬のスタートとなった。これは例年よりも10日ほど早かったという。2日、白頭山地区では最低気温が-41.2℃まで下がり、厳しい寒さに見舞われた。

昨シーズン、平壌で気温が最も低かった日は2014年1月22日の-16℃だったが、今冬は同年12月18日の-17℃で、厳しい寒さがひと月以上も前倒しでやってきた。

(朝鮮新報)

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