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〈それぞれの四季〉私とウリマル/韓梨恵

2014年09月29日 09:00 文化・歴史

8月末から17日間、留学同の祖国訪問代表団の一員として、初めて朝鮮を訪問した。

朝鮮民族一人ひとりが抱えさせられている不条理な歴史を大切にしてくれる国、すべての怒りと痛みの受け皿になり、革命の道を示してくれる国、それが朝鮮なのだということを肌で感じた。私は、自分が朝鮮民族の一人であることをこんなにも誇らしく思えたことはなかった。感動の連続だった。

私は昔から、ウリマルは朝鮮民族であるための資格であると考えてきた。そのため、ウリマルを話せない私は朝鮮民族であってはならないという論理の中にあった。そこから自由になったのは、ごく最近のことだった。ウリマルは、私に朝鮮民族としての自覚を強めてくれるものなのだというところで落ち着いていた。

「革命の同志として、革命の戦士として、共に闘いましょう」。朝鮮の軍人さんが、ウリマルを話せない私のために、紙に書いて渡してくれた。そのとき私は、自分がいかに緊張感を持たずに闘争をしようとしていたのかということに気づかされた。同志と言ってくれた彼の言葉を通訳なしでは理解することができない私は、共闘どころか共感することすら難しいのだ。

ウリマルに対する認識が、変わった。ウリマルは、朝鮮民族が統一運動を展開するため、革命の道を切り開くために必要な意思疎通手段である。私も、あの軍人さんと共に闘いたい。彼にまた会う日まで、私はウリマルを習得しなければならない。

(大学院生)

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