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〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 60〉嫁はまるで士人ー徳恩府夫人宋氏

2014年03月13日 10:05 文化・歴史

貴婦人の鑑と称され

墓碑銘と祭文に記録

朝鮮王朝時代の女性たちは明らかに存在したにもかかわらず、その痕跡が詳らかにならず意図的に無視され、時の中に埋没していることが多い。例外的な場合はあるが、多くがその名前はおろか行状なども更に不明である。女性自身による日記や書簡、文学作品、論文などもあるが至極少なく、男性によるものが圧倒的に多い。正史や野史、野譚、書簡や日記、犯罪記録や墓碑銘、祭文、行状、行録、行跡記、傳、碑文、墓誌名などから「男性の目を通した」女性たちの生活の一端を垣間見ることができる。墓碑銘や祭文は朝鮮漢文で書かれており比較的多く現存、たとえば「尹氏夫人の姪に送る祭文」、「夫人の墓所を移す際の祭文」、「祖母李氏夫人への祭文」、「弟の代わりにその夫人鄭氏への祭文」、「亡くなった姉上に捧げる祭文」、「妻孺人李氏の墓碑銘」、「貞夫人に追贈された母順興安氏の行状」など、誰かの祖母、母、妻、姉、妹、姪に関する記録が孫、息子、夫、兄、弟、叔父の立場で書かれているというわけである。

夫の兄が「徳恩府夫人宋氏墓地銘、庚子(1660)」という題名で彼女の墓碑銘と祭文を書き残している。府夫人とは国王の嫡子である大君の正夫人の母に下賜した正一品の位のことであり、祭文とは死者に哀悼の意を表す文であり、形式にのっとり漢文で書くのが今でも一般的、「維年號幾年歲次某年某月干支朔某日干支」で始まり「尙饗」で文を締めくくる。

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