〈東京大空襲と朝鮮人犠牲者(中)〉名前すらわからない遺骨
2014年02月18日 16:47 歴史2. 朝鮮人犠牲者
(1)公文書
日本政府が1991年、韓国に渡した厚生省(当時)保管「被徴用死亡者名簿(海軍)慶尚北道・慶尚南道」がある。名簿には一連番号、階級、姓名、生年月日、所属、死亡年月日、死亡場所、死亡区分、本籍地、親権者(関係・姓名・住所)の欄があり、1712人の名前が出ていた。慎重に調べた結果、123人が昭和20年(1945年)3月10日、東京都深川宿舎で死亡していた。123人中本名は10人だけで、残り113人は「創氏改名」された名前で記載されていた。全員が、階級は「軍属」、所属は「芝浦」、死亡区分は「戦死」である。最年少は一連番号148番・豊山墉守で昭和3年12月17日生まれ、よって16歳と2カ月余である。昭和生まれ、即ち20歳以下が13人いた。
※「創氏改名」の真のねらいは「朝鮮的な家族制度、特に父系血統にもとづく宗族集団の力を弱め、日本的なイエ制度を導入して天皇への忠誠心を植えつけることである」(水野直樹著『創氏改名-日本の朝鮮支配の中で』、岩波新書、2008年、50頁)。
呉地方復員部が1955年8月に作成した「朝鮮出身死没元海軍軍人軍属御遺骨等奉安名簿」がある。9人が昭和20年3月10日死没、死没場所:東京、死没区分:戦死、身分:軍属、内容:骨となっていた。しかし故・張(原)栄植氏以外の8人は、上で言及した慶尚道の名簿と重複していた。故・呉聖述氏だけが本名で、残りの8人は「創氏改名」されている。呉(広島)に連行された9人が、東京大空襲で亡くなっていた。