〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 59〉端宗の母―顯德王后 權氏
2014年02月13日 16:52 文化・歴史怨霊となり息子の仇を討つ?
世祖の夢に現れ
顯德(ヒョンドク)王后 權(クォン)氏(1418.4.17~1441.8.10)は、息子を殺し王位を簒奪した夫の弟を、怨霊となりあの世から呪い続けた王妃として野史、野譚で有名である。
李肯翊(リ・グンイク1736~1806)の「燃藜室記述 文宗朝故事本末 昭陵廢復」には次のような記載がある。
「世祖が端宗を追放、殺害した後、世祖の夢に顯德王后の霊が現れ、『罪なき私の息子を殺めたゆえお前の息子を取り殺してやる』と言った。(世祖が)夢から覚めると世子急死の報が伝えられた。これに激怒した世祖は昭陵を暴けと命じた」
昭陵は權氏の墓所である。
また、李耔(リ・ジャ1480 ~ 1533)の「陰崖日記」には次のような件がある。
「1457年冬、世祖が宮殿で昼寝をしているとき金縛りになるという奇妙なことが起こり、すぐに昭陵を暴けと命じた。使臣が石室を破壊、棺を無理に取り出そうとしたがあまりに重くびくともしなかった。皆が驚き奇異に思うと、祭文を書き祭事を行うと棺が動いた。三、四日露天に放置し、王命により平民の礼で葬儀を行い水辺に埋葬した。陵を暴く数日前の夜、『私の家を壊そうとは、一体私はどこへ行けばよいのだ』という忍び泣きが陵の中から聞こえ、その声を聞いた村人たちは胸を痛めたという」
王である兄の死去後、王位に就いた幼い甥を追放、「殺害」し見せしめに兄嫁の墓を暴く。現代のドラマ風に王を大会社の社長に置き換えて考えると、とんでもない話である。