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〈衰退する米国・㊥〉「米国不敗の神話」を崩した朝鮮戦争/白宗元

2013年11月27日 14:52 朝鮮半島

米国の衰えが目立つまでにいたる過程は複雑であり政治、経済、軍事的なさまざまな要因がからんでいる。しかしその大きな契機として朝鮮戦争、「ニクソン・ショック」およびイラク侵攻の三つをあげることができよう。

本土に戦争被害のなかった米国は強力な経済発展をとげ第2次大戦後、核兵器を独占し援助をテコに各国と国連をも思いのままに動かす威勢並ぶものなき覇権国家となった。

朝鮮を分断する38度線を主張し、強引に一つの民族を分裂させたのは米国であった。朝鮮人民の反対を流血の弾圧で抑え、国連の名を利用して李承晩独裁政権をつくり分裂を固定化したのもまた米国であった。

しかし米国の朝鮮政策の失敗は朝鮮戦争直前の1950年5月の南朝鮮総選挙で露呈された。米国の強力な支持をうけた李承晩一派は473名が大量立候補したが結果は57名しか当選せず惨敗に終わった。民主主義のル一ルに従えば当然、政権交代が行われ圧勝した反李承晩派と平和統一を主張する政治勢力が政権の座につくべきであった。

孤立無援になった李承晩の危機は米国の危機でもあった。武力による統一を国是とする親米李承晩政権が倒れ、朝鮮で平和が実現すれば駐兵の理由はなくなり米軍は南朝鮮に留まることはできないからである。日本では「北が戦争をしかけた」と喧伝されているが、南朝鮮における政権交代、平和の可能性を力づくで阻み李承晩の武力統一を後押しして朝鮮戦争を挑発したのは米国であった。

米国が長期にわたり莫大な援助を続け、国内戦争で当然勝利するものと考えていた蒋介石国民党軍が敗北し、中国共産党が勝利をおさめる展望は1948年にはもはや動かすことのできない現実となった。蒋介石の敗退とともに米国は中国から全面撤退せざるをえない。さらに追い打ちをかけるように南朝鮮では李承晩独裁政権が崩壊した。中国からの全面撤退を余儀なくされた米国は、このままでは南朝鮮からもひきつづき撤退しなければならない厳しい情勢に直面した。

1950年当時、米国のアジア戦略は根底から揺らいだ。窮地に陥った米国は強大な武力を背景に朝鮮戦争の火を放つことによって事態を打開しようとした。

 朝鮮侵略と強者米国の敗退

朝鮮戦争を始めるに際しマッカ一サ一は「この戦争は2週間で終わる」と豪語した。これは朝鮮人民を侮り戦争を始めれば簡単に勝利できると誤算したからである。米国は朝鮮侵略で日本全土を一大後方基地として全面的に稼働させ16カ国の兵力を動員し、非人道的な細菌戦までおこなった。

朝鮮戦争における空軍の目的について極東空軍司令官オドンネルは語った。「北朝鮮の都市を完全に破壊し、恐ろしい衝撃に驚き朝鮮人が戦意を失うようにすること」にあると。米空軍が朝鮮戦争中に投下した爆弾の総量は50万トンに達する。太平洋戦争中、日本本土に投下された爆弾は約16万2千トンであるがその3倍以上の爆弾が日本よりはるかに狭い面積の北朝鮮地域に無差別に投下され都市と農村は灰燼に帰した。

東海岸の戦略的な要衝1211高地を占領するために米軍は1日に3~4万発の砲弾を打ち込み、数10回の波状攻撃をくりかえした。山頂の標高は1メ一トルも低くなり全高地は火におおわれ凄惨な死闘が続いた。しかし結局敗退したのは米軍であった。戦況が不利になった1951年6月、国連軍司令官リッジウェイは停戦会談を申し入れてきた。

朝鮮戦争は高慢なマッカ一サ一の豪語とは裏腹に2週間ではなく3年余も続いた。朝鮮人民は米国の強大な武力の「衝撃に驚き戦意を失う」人民ではなかった。日本帝国主義から解放されて間もない朝鮮人民は恐るべき試練に耐えて敢然と米国と戦い、祖国の自由と独立を守りぬいた。

絶対に揺らぐことはないと思われていた「米国不敗の神話」は朝鮮戦争で崩れ去った。米国はひきつづきベトナムで敗退しイラク、アフガニスタン侵略で失敗の泥沼にずるずるとはまりこんだ。朝鮮戦争は米国が凋落への道をたどる端緒となった。

(歴史学博士)

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