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〈学美の世界 84〉言葉を超えて語りだす造形/金潤実

2026年04月16日 06:30 寄稿

各地の朝鮮学校美術部において、自身の作品を他者へ向けて語る「作品プレゼン会(アーティストトーク)」は、今や欠かせない活動の一つとなっている 。作者自身が自作を改めて捉え直し、他者との対話を通じて学びを深める貴重な機会だが、現場では時折、生徒から本質的な問いを投げかけられることがある。「なぜ、言葉で語らなければならないのか」と。それは、表現者にとって極めて重要な問いである。

美術とは本来、非言語的な「造形言語」による表現だ。言葉にできない想いがあるからこそ、人は絵を描き、形を創る。言葉によるコミュニケーションが主体となる人間社会において、あえて言葉を否定するほどの強い意志を持ち、作品のみで語ろうとする葛藤。あるいは、軽やかにその縛りを飛び越えていく「生(き)」の力。生徒たちの作品には、そうした奮闘の軌跡が刻まれている。

作品①「佇む顔」。第51回展金賞、神戸朝高・高3 徐志遠

真っ黒な背景に、佇む顔。そこにあるのは「美しい肖像画」ではない。むしろ破壊的で、画面からは迫りくるような、それでいて今にも崩れ去りそうな特有のオーラが漂う。

私たちは、眼の前にあるものに無意識に意味を見出そうとする。例えば「顔」が描かれていれば、ついそこから感情や物語といった「意味」を読み取ろうとしてしまう。しかし、この作品から感じるのは、そうした安易な意味づけへの明確な拒絶。それは、国籍や性別といった「記号」で人を分類しようとする社会的な眼差しへの、静かで激しい抵抗とも言えるかもしれない。この作品を前に、鑑賞者は何者でもなく、ただ共に佇み、漂うことしかできない。

フランスの哲学者サルトルは「実存は本質に先立つ」と説いた。何者かである前に、ただそこに「在る」こと。現れては消える存在そのものを捉えようとしたこの絵は、純粋な実存の表現と言えるだろう。

作品②「私を見ろ」。第52回展金賞、大阪中高・高3 高花蓮

生命力と躍動感に満ちたこの作品は、作者によると、松の木からインスピレーションを得て制作された。四角い規格に収まらない「シェイプド・キャンバス(変形キャンバス)」は、今もなお伸び伸びと成長を続けているかのようだ。画面を埋め尽くしうごめく紋様は、決して予定調和ではない。無数の色彩が重なりながらも、完全に混じり合うわけでも衝突するわけでもなく、絶妙なバランスで共存している。その有機的でプリミティブ(根源的)な力強さは、個々の生命が未知数の可能性を持って成長していく姿そのものである。ダイナミックさと繊細さが同居する唯一無二の表現でもあり、古今東西を問わず、時代を超えて響く普遍性が宿っている気がしてならない。

表現者が言葉の呪縛から自由になるのは容易ではないが、この作品には「理屈抜きに、とにかく私の絵を見て!」という清々しさがある。もはや説明は不要だろう。真っ直ぐにこの絵と対峙してほしい。作品から放たれるエネルギーは、観る者すべてを祝福し、後押ししてくれるはずだ。

造形表現において、言葉は決して不要なわけではない。しかし、生徒たちの言葉を超えていくほどの貪欲な意欲や、既存の枠組みに収まりきらない強い個性が生み出す輝きを、私たちはこれからも見守り、応援していきたい。そして、作家が言葉から自由であるならば、それを見る側もまた自由でいい。言葉や意味を超えて、あなただけの感性で、生徒たちの作品と出会ってほしい。

(在日朝鮮学生美術展中央審査委員、大阪中高、和歌山初中美術講師)