〈読書エッセー〉晴講雨読・宇宙を論じた洪大容とカント(下)/任正爀
2026年03月11日 10:12 寄稿『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』を著したイマヌエル・カント(1724-1804)は「近代哲学の祖」と言われている。哲学者としてあまりにも有名であるが、かれの最初の論文は1747年の『活力測定考』で、物理学の運動量に関するものである。
若きカントは西洋科学の中心から遠く隔てられたドイツの辺境にあった。この地理的条件は最先端の科学を正確に理解するうえで障害となったが、かえって大胆な想像力と思弁による包括的自然像構築の冒険を企てさせた。
それが1755年に刊行された『天界の一般自然史と理論』(以下『天界論』)における「星雲説」に結実する。それは「ニュートンの諸原則に従って論じられた全宇宙構造の体制と力学的起源についての試論」という副題が示すように、ニュートン力学の原理によって宇宙の構造と生成を論じたものである。

『天界論』の表紙
カントは銀河系の形は円盤状であり、地球から中心方向を見ると星が重なり合うので帯状に見えると考えた。それが天の川である。では、なぜ銀河系はそのような形状なのか? カントは無限の宇宙空間に微粒子が散在し、衝突を繰り返す過程で渦が生じ、同時に上下に分布した微粒子は引力によって平面上に集まり、局地的に密度の高いところに微粒子が凝集し星を形成するとした。さらに、銀河系のなかでも部分的に回転が生じるが、それが太陽系であると考えた。
洪大容の宇宙論とは、根本素材による宇宙生成論、階層的構造を持つ宇宙無限論という類似点があるが、さらに興味深いことは両者とも宇宙人の存在を考えていたことである。カントは木星を形成する物質が太陽系では中間の重さにあり弾力性があるので、木星人がもっとも理知的であるとする。洪大容も太陽に住む者は火の気で造られたので情熱的であり、月に住む者は水の気で造られたので冷静であり、地球に住む者は土と木の気で造られたので粗野であるとする。現在から見れば何とも奇妙な宇宙人であるが、18世紀という時代はそれが許されていたのである。
かれらの宇宙論は、現在「宇宙物理学」と呼ばれるような「学」ではなく、「論」として成立した自然哲学で、人間の思惟が決定的な役割を果たす。かれらの宇宙論こそは18世紀の知識水準で、人間の思惟が到達できる宇宙像の最後の姿であったのだろう。
エンゲルスは、自然哲学は天才的思想と多くの後年の発見を先見予感する一方で、ばかげた考えもさらけ出したと指摘したが、前述の宇宙人がまさにそれである。
カントの場合はニュートン力学の諸原理を前提としたものだけに、近代科学に近い側面を持ち、その一部が現在も星雲説として残され、その後の宇宙論の発展を促した。ニュートン力学に触れることができかった洪大容の宇宙論が、カント以上に思弁的になるのは当然のことであるが、むしろそれによって『毉山問答』における論理展開には隙がなく、自然哲学としての完成度はカントよりも高い。
カントの思想形成は、1781年に出版された『純粋理性批判』による批判哲学の成立を境に前期と後期に区分されている。『天界論』は前期に属する著作であるが、カントはそれによって宇宙=自然に関する問題は完全に解決したと自負していた。そして、次にはそのように人間が自然を認識することのできる根拠はどこにあるのという問題意識を持った。つまり哲学者カントにとっては、宇宙論がその出発点であった。
これに対して、洪大容にとっての宇宙論は終着点といえる。洪大容が『毉山問答』を著したのは晩年と推測され、かれの思想が集大成された著作である。その宇宙論は「大道の要」は何かという虚子の問いに始まり、人間の源が天地にあり、その根本を述べるとして展開されたものであった。すなわち、カントはその宇宙論の完成を機に人間の問題を追求し、洪大容は人間の問題に答えるために宇宙論を展開したのである。
神話から始まった宇宙論は、キリスト教や易学など宗教・教義的宇宙論を経て、自然哲学的宇宙論へと発展した。そして、観測手段の発展による豊富なデータを駆使し、物理学的手法による近代および現代的宇宙論へと発展、実証科学としての限界に挑んでいる。
その発展段階にある自然哲学的宇宙論の最高峰に位置するのがカントと洪大容であり、カントの『天界論』が世界に広く知られる古典的著作ならば、洪大容の『毉山問答』も同様に評価されるべきというのが筆者の主張でもある。

『朝鮮科学史における近世』
二人の宇宙論の比較検討を中心とした『朝鮮科学史における近世-洪大容カント志筑忠雄の自然哲学的宇宙論』を思文閣から出版したのは2011年のことで、『毉山問答』の原文と日本語訳も収録している。「比較科学史」という方法論による研究論文集であるが、提唱されたのは東大名誉教授で、日本科学史学会・会長も務められた伊東俊太郎先生である。先生とは学会で直接お話する機会に恵まれたが、ある時、朝鮮大学校を訪ねてくださった。まずは、学内の朝鮮自然博物館と歴史博物館にご案内したのだが、展示品を見られて「本当に素晴らしい」と感嘆されていた。
その後、筆者の研究室でその本について貴重なコメントを頂くとともに、比較科学史の貴重な成果と評価してくださった。その時、カントの著作を原文(ドイツ語)ではなく翻訳本を用いたことが気になっているとお伝えした。伊東先生は西洋科学史の第一人者で、原典を読むためにその都度必要となった言語を習得されることはよく知られている。すると先生は、優れた訳文があればまずはそこから出発し、必要となった際に原文を辿ればよいと言ってくださった。後進への配慮だろうが、正直、胸を撫で下ろした。
実はこの日、先生の著書への署名と写真を一緒に撮って頂こうと思っていたのだが、緊張もあってうっかり失念してしまった。先生は2023年に他界されたが、本当に残念なことをしたと今更ながら痛感している。
(朝大理工学部講師)