〈学美の世界 80〉作品と鑑賞者の共鳴/玄明淑
2025年12月14日 07:30 寄稿周知の通りアートとは、人間の創造的な表現や感情の表出を通じて美的・精神的な価値を追求する活動や作品のことである。その形式は絵画、彫刻、音楽、文学、建築、ダンスなど多岐にわたり、いずれも鑑賞されることを目的としている。
去る10月26日、学美大阪展の最終日にアーティストトークが行われた。中、高級部の美術部員とその保護者、一般の来場者が作品に心を寄せ、作家の言葉に耳を傾け、その思いは会場全体を包む温かいハーモニーとなり共鳴した。
学美会場でのアーティストトークは恒例となっているが、その場にいた私はいつになく多くの人々の気を感じていた。制作過程がよみがえり、同時に前日新校舎で行われたイベント(たくさんの同胞や卒業生、周辺住民たちが集まり、舞台公演や屋台フード、大抽選会をして盛り上がった感謝祭)での記憶が鮮明に浮かび上がり、目の前の作品への感謝の気持ちでいっぱいになった。
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今回紹介する2つの作品は、どちらも民族教育の現状とその歴史を「自分事」として表出した力作である。授業や課外活動を通じて学んできた在日朝鮮人の歴史、ウリハッキョを取り巻く日本社会の慢性化された偏見と差別、大阪民族教育の再編成と同胞社会のニーズ、そして厳しい財源。生徒たちは、そのすべてを主観的に捉えて考える機会を日常的に体験してきた。
その中で選び取ったテーマやコンセプトは、自らのフィルターを通して生み出された唯一無二の作品であり、歴史的な2025年に制作・発表されたことは、まさに絶好のタイミングであった。作品の前に立つと鑑賞者との対話やインタラクションが生まれ、社会的なメッセージとなって迫ってくる。トークに参加した誰もが、作者の個人的な感情や主張が波動となって拡張していくエネルギーを感じたことだろう。改めてアートの力を実感した。
作者は初級部で校舎建て替えを経験している。中級部へ入学した後も、旧校舎から仮校舎へ、そして中級部2年生への進級とともに新校舎へと、学びの場が変わっていった。その間の部活動では旧校舎フォトブックを制作しようと、部室や教室、廊下や玄関、屋上や運動場、通学路まで学校生活の至るところを撮影し、母校に対する愛着や思い出を写真に収めていた。同時に学校をあげて校内の備品や教材、行事用の道具など大量の荷物を片付け、荷作りや運搬作業を全校生徒が手伝い共に汗を流した。
作者はコンセプト文に次のような言葉を綴った。「遂に新校舎が竣工し、新しい校舎で学ぶ今日の喜びを思うとき、ウリハッキョは本当にたくさんの人たちの愛と助けがあって建設され、維持されてきたことを描きたかったです。学校を若葉に例えたのは、地域同胞たちが呼びかけている「ウリナムプロジェクト」(※)からインスピレーションを受けました。大阪府下の4つの初級学校も含めて、それぞれイメージカラーを付け足し1本の木で表しました。じょうろを持つ人の手は、いろんな年代の人を表したくて手の大きさや服装を工夫しました」
※新校舎竣工を祝し、ウリハッキョを守っていく想いを集めて、学校の景観を彩る木々をプレゼントするプロジェクト。
縦1.1m横2.4mの大作だ。部室が狭くてこの大作を立てる場所はない。作者は4階の廊下で制作していた。高級部の各教室から誰もが出歩く一本の廊下で黙々とキャンバスに向かった。皆が作品の進行状況を毎日見ながら交差する。その過程には、作品を写真に収める人、すご~い!と感嘆し応援してくれる人、修正された構図や塗り替えられた色に驚き、完成を待ち望んでいる同級生や先生方がたくさんいた。そんな夏の制作中はたくさんの人の想いも合わせて「花園」を作り上げていた。
花園とは、旧校舎の所在地であり、読んで字の如く花が咲きほこる園であり、作家が思い描くイメージ、それは先代たちが守り育んできた民族教育の歴史であり、その花を枯らさず自分たちが継承していこうとする意志表示である。作者の言葉を添えたい。「大切に育まれてきた花の園から一歩踏み出し、由緒あるこの地で実る『花』を心に描いて」
新校舎にはホワイトボードが導入され時代の変化を感じるが、旧校舎で愛用されてきた黒板を額縁に見立てて、鑑賞者が名前と花を書き入れる参加型作品に仕上げた。
大阪会場では瞬く間にたくさんの人の名前で埋め尽くされた。作品は、鑑賞者との共鳴によって完成される様を、目撃できる機会に立ち会えた。実に幸運だった。
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作品を能動的に鑑賞する過程で、自身の経験や感情と作者の意図が響き合う相互作用によって生まれる変動こそが共鳴である。展示会場に深く豊かな体験が広がっていた。
(在日朝鮮学生美術展中央審査委員、大阪中高美術教員)

