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【投稿】バザーの世界/金紗瑛

2025年11月26日 09:14 寄稿

バザーを終えたオモニたち

私が千葉初中のバザーに足を踏み入れたのは、長男が同校に入学した2016年のことだ。

そもそも、私が学生の時分もバザーのような行事はあったはずだ。しかし、その記憶がほとんどない。

私が初級部生だった1980年代は日本経済が絶頂期だった。当時の流行語は、「亭主元気で留守がいい」「24 時間タタカエマスカ」などで、共働きの両親は年中忙しく、休日も出かけることが多かった。当時のバザーは、いつも忙しい大人たちが日頃食べられないものを皆で作ってシェアする「大人の息抜き」的な意味合いが強かったように思う。今のように子どもが遊べるキッズスペースなどはなく、子どもは蚊帳の外だった。

それでも、私が唯一覚えているのが、「ミクラジクッ」と呼ばれていたどじょう汁だ。当時私が通っていた下関初中(現、山口初中)では、運動会などの行事があるとどじょう汁が販売されていた。シレギがたくさん入ったその大人びたスープを飲むと、まるで自分が大人の仲間入りをしたような気分になったのだ。あれから30年以上がたち、今度は保護者としてバザーの世界に足を踏み入れることになった。

千葉初中のバザーは秋だが、私の中ではすでに4月から始まっている。

新年度に学校の年間予定表が公開されると、オモニたちは真っ先にバザーの日にちを確認する。なぜなら、この日に自分はもちろん、家族の誰も体調を崩せないからだ。まるで、大事な試合に向けてコンディションを調整するアスリートのように。

この日から、私はバザーの攻略法を考える。バザーの出し物は、居住地域の分会ごとに検討し、それぞれメニューを決める。

私が所属する習志野分会は、毎年キムパプを作って販売している。今年はキムパプの価格をいくらに設定しようか、本番前にキムパプを巻く練習をしておこう、デパ地下のキムパプを買って味見をしてみよう。まるで好きな「推し」のことを考えている時のように、頭の中をキムパプが占拠する。

夏が近づくと、分会ごとに「戦略会議」が開かれる。今年はキムパプの具材は何を入れるか、肉と野菜はどこが安いか、どんなパックに商品を入れて販売するか、ポップや売り場はどのようにディスプレイするかなど、議論は白熱する。本番が近づくと、試食会も行われ、味はもちろん価格に見合っているかなど厳しくチェックする。

バザー前日、分会長の呼びかけで学校の食堂に続々とレジェンドたちが集結する。

60 ~80代のレジェンドたちは千葉初中OGオモニたちで、年に数回学校の給食を作ったり、子どもたちにキムチの作り方を教えたりする。

かのじょたちは必ず来る。雷雨になっても、台風がきても来る。足腰が弱くなってもバザーに参戦するのだ。椅子に座って具材を切り、味付けの指示を出す。かのじょたちはこの試合の司令塔なのだ。

キムパプ作りに励むオモニたち

バザー当日、7時に校門が開くとスタメンオモニたちが次々とフィールドに集まる。現役オモニたちで構成される少数精鋭チームだ。各自がそれぞれのポジションにつき、自分の仕事をする。試合開始の11時が近づくと、緊張が走る。校門には既に長蛇の列ができている。試合開始と同時に一気にコアなファンが売り場に押し寄せる。中には、一人で5パックや10パックを購入する「強者」もいる。シルトッと並んで二大人気を誇るキンパは、瞬く間に完売する。七輪焼肉、チヂミ、ヤンニョムチキン、ピビンバ、チャプチェ、牛すじ煮込み、コチュジャン、どれも大盛況なのである。

バザーはやっかいだ。何年たってもあのバタバタ感には慣れない。

それでも、試合が終わった夜、私は一人朝鮮料理の断面を愛でながら思うのだ。

なんと美しい伝統料理だろう、なんと心のこもった手料理だろう。

私が初級部の頃から今日まで、40 年以上も続いているウリハッキョのバザー。どんな時も学校のために情熱を燃やし、逞しくバザーを続けてきたオモニたち。かのじょたちが心を込めて大切に守ってきた朝鮮料理を、今度は次世代の私たちが継承していく。そして、この味を心待ちにしている家族や同胞、地域の方がいる限り、私はこの先もバザーの世界から抜けられそうにない。

キムパプ作りに励むオモニたち

 

(千葉初中オモニ会副会長)

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