〈GANEFOに刻まれた輝き・上〉朝鮮が示した連帯と力/新興勢力の祭典
2025年09月26日 07:00 共和国 スポーツ1963年11月、インドネシア・ジャカルタで開かれた「新興勢力競技大会(GANEFO)」。脱植民地化のうねりの中で誕生したこの大会で、朝鮮のアスリートたちは世界新記録を打ち立て、鮮烈な存在感を示した。いま国際舞台で注目を集める朝鮮スポーツを振り返るとき、GANEFOを抜きに語ることはできない。本連載(上下2回)では、朝鮮スポーツ史を研究するイタリア人歴史家マルコ・バゴッツィさんの寄稿を通じ、その記憶と記録を掘り起こす。
新たなスポーツ秩序を
朝鮮代表団が鮮烈な足跡を残したGANEFOは、単なるスポーツ競技大会ではなかった。背景には、世界的な脱植民地化のうねりがあった。
55年4月、インドネシア・バンドンで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)には29カ国が参加し、反植民地主義と平和共存を基調としてアジア・アフリカ諸国の結集が呼びかけられた。有色人種の代表による世界最初の国際会議で示された精神は、その後、反植民地、反帝国主義、非同盟の連帯を掲げた非同盟運動の誕生(61年)へとつながる。
新たに独立を達成し、また独立のために闘う国々は、欧米を中心とする政治的・経済的支配を超え、自らの存在を示す新たな道を模索していた。スポーツの世界も例外ではなく、オリンピックを牛耳る国際オリンピック委員会(IOC)の「非政治性」の看板を、大国政治の道具であると見なし始めていた。
そんな中、非同盟運動の中心メンバーであったインドネシアは62年のジャカルタ・アジア大会を前にして、「二つの中国」論に反対し中華民国(台湾)選手への入国ビザを拒否、パレスチナやイスラム諸国への連帯のもとでイスラエル選手の入国も拒否した。インドネシアはこれにより63年2月にIOCから資格停止処分を受けたが、圧力に怯むどころか自らIOC脱退を宣言。新たな国際スポーツ秩序を築くため、新興勢力によるGANEFOの創設へと動いた。