〈読書エッセー〉晴講雨読・総聯結成と小説『太陽賛歌』/任正爀
2025年06月20日 07:56 寄稿5月25日、東京朝鮮文化会館で総聯結成70周年慶祝中央大会が開催され、筆者も在日本朝鮮人科学技術協会(科協)会長として、いつも以上に厳かな気持ちで参加した。
まず、金正恩総書記の書簡が伝達された。あくまでも個人的所感であるが格調高く慈愛に満ちたその斬新な文章から、総聯愛族愛国運動の新しい時代の扉が開かれたことを実感した。
さて、「晴耕雨読」を連載していることもあり、最近何かと本と結びつけることが多くなったのだが、この時も総聯の歴史を紐解くうえで基本となる書籍は何かと考えた。在日朝鮮人歴史研究所の諸刊行物がそれに該当するのだろうが、これまで読んでこなかった。他方で興味深い本としてすぐに浮かんだのが、叢書『不滅の歴史』の一冊として2005年に出版された『太陽賛歌』である。

『太陽讃歌』
今年1月から3回に分けて当欄で詳しく紹介したが、『不滅の歴史』は金日成主席の革命活動を題材とした大河小説で、『太陽賛歌』は主席の領導の下に総聯結成までの在日朝鮮人活動家の姿を描いたものである。作者は『青春頌歌』で知られる南大鉉で、日本からの帰国者である。
小説には、初代内閣の要人である洪命憙副首相、白南雲教育相、李克魯無任相、朴憲永外相や抗日革命闘士である姜健、林春秋らとともに、在日朝鮮人は一字変えてハン・トンス、リ・ジンイル、キム・ウネ、パク・リョンらが登場する。主人公のハン・トンス、リ・ジンイルは言うに及ばず、キム・ウネは金天海、パク・リョンは朴烈である。金天海は朝連の最高顧問や日本共産党中央委員を務めた人物、朴烈は無政府主義者で初代「民団」団長を務めた人物で、彼らがどのように描かれているのかも注目である。ちなみに、二人は晩年を平壌で送っている。
序章と5章、終章から構成されているが、序章は朝鮮創建を祝賀する朝連代表団の舞鶴港に近い小さな港からの船出に始まる。よく知られている歌謡「祖国へと向かう道」のまさにその光景で、小説ではハン・トンス以下7人が海を渡る。
これまで実際は誰なのか憶測されてきたが、今般出版された許宗萬議長の『不世出の偉人を戴き』では、故韓徳銖議長をはじめ12人の氏名が明らかにされた。そのなかの一人ホ・ジュンは朝鮮戦争時に連絡員として再び海を渡っている。その本では『太陽賛歌』についても言及しているが、作者が南時雨元朝大学長のご子息であることにも触れている。
さて、金日成主席の教示を受けた代表団であるが、GHQによって朝連は強制解散となり、それを受け継いだ「民戦」は日本共産党に同調して、暴力闘争を繰り返し同胞に大きな犠牲をもたらす。その実状を金日成主席に報告するために連絡員が派遣され、路線転換方針が示され総聯の結成に至るのだが、『太陽賛歌』はその過程を克明に描く。以前、『不滅の歴史』は朝鮮現代史を知るうえで欠かせない文献であると強調したが、『太陽賛歌』も総聯の結成を朝鮮現代史の一部として捉えていることに大きな意味がある。
また、サイドストーリーとして留学同活動を通じて知り合った若い男女の恋愛模様が描かれているが、男性は主人公の弟のような人物、女性は朴烈の娘である。朴烈に娘がいたかは分からないが、複雑な事情が絡み合う中での恋愛成就は心が和む。
さて、総聯の結成とともに在日朝鮮人運動に転機をもたらしたのが、祖国から送られてきた教育援助費・奨学金であることに異論はないだろう。今日の民族教育の発展は教育援助費なくして考えられないが、当時、苦学を強いられた人たちにはこの奨学金が生命水となった。科協の第一世代がまさにそうで、自身の進路に悩んでいた諸先輩方はそれによって人生観を変え、その後、科学者・技術者として祖国と同胞社会に大きく貢献した。現在、科協会長を務める筆者は第二世代となるが、果たして第一世代のような心情で研究および教育に取り組んできたのか、自省せざるを得ない。
周知のように教育援助費・奨学金への感謝を込めた歌謡が「祖国の愛はあたたかい」で、「人民賞」が授与されたことが冒頭の慶祝中央大会で伝えら、記念アンサンブル公演(5月27日)でもその合唱がフィナーレを飾った。また、大衆歌謡「口笛」で圧倒的人気を博した歌手チョン・ヘヨンが、平壌学生少年芸術団の一員とした来日した時にこの歌を披露し、同胞たちの涙を誘ったことは今でも語り継がれている。
個人的にもう一つ強く印象に残っているのは、映画「私たちには祖国がある」の一場面である。主人公は夫を探して日本に渡ってきた若い女性で、解放後は女性同盟委員長として活動する。そして、ウリハッキョ建設のために奔走するのだが困難が立ちはだかる。そんな時に教育援助費・奨学金が送られてきたことを知り思わず涙を流す。そんな彼女にあるハルモニが「こんな嬉しい日に委員長、ウァ、ウノ(なぜ、泣くんだい)」と声をかける。慶尚道方言によるハルモニのその言葉は、その日の在日同胞の姿を見事に表現している。在日同胞を描いた名作であるが、残念ながら今では観る機会のない幻の映画である。

朝鮮大学校内にある3本の松の木
最後は余談、というよりも私事である。筆者は総聯が結成された1955年に生まれた。結成20周年の時は朝大2年生で、それを記念して物理数学科の同級生と忠誠・統一・友情の思いを込めた三本の松の木を講堂脇に植えた。
それから50年、松の木も大きくなったが、校内の一等地ともいえる場所に何の変哲もない松の木がある由来を知る人もほとんどいなくなった。それでも、総聯の発展と自分たちの成長を願ったその木が今でも母校にしっかりと根付いているというのは、大きな喜びであり誇りでもある。
(朝大理工学部講師)