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〈歴史の「語り部」を探して〉民間での追悼、加害当事者の反省はゼロ/愛知編

2025年04月26日 11:00 歴史

零戦の展示に反省の色はない(「あいち航空ミュージアム」にて)

愛知県名古屋市の地下鉄「栄」駅で「運休のお知らせ」と書かれた張り紙が目に留まった。その原因は不発弾処理だった。ビルの建設が盛んな名古屋市では不発弾が相次いで発見されている。昨年10月以降だけでも5発の不発弾が発見された。

約80年前の爆弾はこの地が戦争と深い関わりがあったことを物語っている。戦前から愛知県内では軍需産業が発展し、戦時には軍施設も集中。特攻に用いられた零式艦上戦闘機(通称、零戦)もこの地で生産された。

愛知県内には数多の朝鮮人が強制連行されたうえに戦災によって犠牲となった。

今回向かった愛知では、朝鮮人慰霊碑や建設に朝鮮人が動員された小牧飛行場(現名古屋空港)、大規模な空襲があった豊川海軍工廠跡などを訪ねた。

帰路についた後、宿泊していたホテルのテレビをつけると、名古屋ドーム前に空襲80年に際したモニュメントが期間限定で設置されたとのニュースが流れていた。日本の愚行に巻き込まれた朝鮮人たちの足跡を辿った筆者には、被害者意識からの平和ムード作りは空虚なものにしか見えなかった。なぜならその道中では、加害当事者の反省の無さを目の当たりにしたからだった。

鞘堂の中にある寃死同胞慰霊碑

想起させ、訓示するもの

名古屋市営地下鉄「覚王山」駅で下車し、寃死同胞慰霊碑がある日泰寺に向かった。

寃死同胞慰霊碑は、朝連愛知県本部が、空襲に巻き込まれた朝鮮人を追悼するために1948年9月1日に建立した慰霊碑。現在、追慕祭が関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者への追悼の意も込めて毎年9月に行われている。

参道の坂を北上し、山門をくぐると、大きな本堂が構えていた。目的の碑を探すも、目印となる朝鮮式鞘堂を探せなかった。地図を見てみると、県道30号を挟んだ向かい側にも敷地があったので、そこへと向かった。その敷地の入り口から右手側には広い墓地が広がっていた。正面の石階段の先には重厚な霊堂があったが、碑の鞘堂は見当たらない。時刻はすでに夕方、墓石の影が徐々に伸びていく。心を落ち着かせ、もう一度資料を見てみると、「霊堂南側」と位置が示されていた。すかさず石階段のほうへと小走りで進んで上ると、左手に立派な朝鮮式鞘堂が現れた。

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