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「玉砕」した朝鮮人軍属(上) わからぬ遺骨の行方、帰らぬ犠牲者の存在    

2025年03月05日 09:57 歴史

タラワ島。太平洋に浮かぶ小さな島国・キリバス共和国の中心地で、赤道のすぐ北に位置するギルバート諸島北部の環礁だ。日本から5千㌔以上離れたこの場所で、太平洋戦争の末期であった1943年秋、戦地に駆り出された朝鮮人軍属、約1400人が「玉砕」した。それから80年の時を経て、「帰らぬ犠牲者たち」を待つ遺族を取材した。

圧倒された史料の数

家族のもとに届いた死亡通知書の原本

姫路市に住む金承鎬さん(82、43年2月6日生)宅を訪問したのは、今から約2年前の2023年。春の木漏れ日が射す3月のことだった。その当時から数えて80年前に、タラワ島で犠牲となった父に関する資料を保管していた承鎬さん。かれに事情を聴き、真相究明調査につなげようとの目的から、朝鮮大学校朝鮮問題研究センターの金哲秀センター長(朝鮮人強制連行真相調査団事務局次長)と共に訪ねたのだった。

広島・呉の海軍施設部からの「死亡通知書」や、姫路市で行われた軍人軍属の「合同葬儀通知書」など、次から次へと机上に並べられる史料を記録するため、まずは撮影に徹した。そのどれもが、承鎬さんの父が、かつてタラワ島へ渡り家族のもとへ帰ってきていない「事実」を示すもので、その数の多さに圧倒された。

1918年11月6日、慶尚北道迎日郡曲江面に生まれた父・在勲さんは、先に日本へ渡った兄を追って、1935年に九州・小倉へと向かった。その後、家族とともに姫路に拠点を移し、土方仕事で生計を立てていた。そんな在勲さん家族に、「徴用」の知らせが届いたのは1942年の11月。長男や次男(他界)は年が離れており、三男の在勲さんが行くことになった。

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