取り返した忘れ物、頂に立った千里馬/第32回全国クラブラグビー
2025年02月25日 09:29 スポーツ
千里馬の選手、スタッフたち
大阪闘球団千里馬クラブ(以下、千里馬)が、第32回全国クラブラグビーフットボール大会(1月19日~2月16日)で悲願の初優勝に輝いた。これまでに黄金期と低迷期を経験した千里馬。ここ数年間で進めたチーム改革が功を奏し、再び黄金期を迎えようとしている。
経験の差が浮き彫りに
千里馬は、公式戦出場が認められなかった大阪朝高ラグビー部(当時)のOBを中心に1980年に結成された。1993年から始まったクラブチームの日本一を争う全国クラブラグビー大会に、13大会連続で出場し、第1、4回大会では準優勝の成績を収めるなど、その実力は全国区になった。
しかし、朝鮮学校に公式戦の門戸が開かれ、2000年代に入って大阪朝高が全国屈指の強豪校に成長するにつれて、同部に所属する選手たちは、強豪大学を通じてトップリーグ(現・リーグワン)を目指すようになった。以後、同部出身選手たちの「受け皿」としての役割を果たしていた千里馬の存在意義は徐々に薄れ、次第に人数も減少。18年には初めて近畿クラブリーグBに降格するなど低迷に苦しんだ。

千里馬には国籍、年齢問わずクラブの理念に共鳴したラガーマンたちが在籍している
21年、古豪復活を図った千里馬はチームの体制を一新し、「必ず3年で日本一」を合言葉に選手たちの意識改革に着手。国籍や年齢、経験を問わず千里馬のラグビーや理念に共感したラガーマンも受け入れた。当時、監督に就任した韓裕樹さん(43)によれば、選手、スタッフたちは「同胞も日本のラガーマンも憧れるチームにならなければならない」と、「強い千里馬、同胞たちの憧れの千里馬」に返り咲くことを目指していたという。そして、同年、近畿リーグAに昇格すると翌22年には、同リーグでも全勝優勝し、15回目の全国大会出場を決めた。
千里馬の破竹の勢いは全国が舞台でも衰えることはなかった。第30回大会(23年)では、大会最多優勝を誇るクラブを打ち破るなど快進撃を続け、26年ぶりに決勝に進出。クラブ悲願の初優勝まで残り1勝に迫った