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〈金剛山歌劇団沖縄公演〉奇跡の舞台裏(下)

2025年02月21日 09:00 文化・歴史

「私たちの話」をできる社会に

47年ぶりの金剛山歌劇団沖縄公演。会場は人と人をつなぎ、心と心をつないだ奇跡的な空間そのものだった。そればかりかステージを通して、場を共にした人たちに感動と勇気、気づきと学びまでをも与えていた。在日朝鮮人とウチナーンチュ(沖縄の人)それぞれの視点から、奇跡の舞台裏に迫った。(全2回)

“学び、気づくことがある”

金剛山歌劇団沖縄公演は観客たちを魅了した。(写真は舞踊「月灯りの下で」)

公演を約1カ月後に控えた昨年の師走、実行委員会沖縄側共同代表の親川志奈子さんは、本紙の事前インタビューで、本公演の意義そして自身が描く公演後の未来について、こう語った。

「沖縄の場合、『日本の中の沖縄』『日本人である沖縄県民』というように、それが日本の多様性の中の一つのように捉えられやすい。…今回の公演は、私たちが日本の多様性を支える存在ではなく、先祖から受け継いだ歴史や文化を、今を生きる私たちが学び次世代に伝えることの大切さを学べる気がしている。異なる文化の美しいステージを単に鑑賞し、消費してしまうことなく、沖縄の私たちが学び、気づかされることがあるはずだ」

沖縄の地で、朝鮮の伝統芸能を発信する公演を行う―。ウチナーンチュである親川さんが、なぜ、その公演の実行委員会に携わろうと考えたのか。その理由が気になり、先述のインタビュー時に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

伝統を継いで活躍する歌劇団の次世代たち(写真は民謡メドレーのステージ)

「琉球人の私たちは、同化することで生き延びてきた部分があるが、在日朝鮮人の方々は一生懸命に闘って言語や文化、歴史を残し、語り継いでいる。そのことに感動した。さらに言うと、私たちが諦めてしまっていたことをやっている姿に、『私たちもこういう未来があったのでは』と考えさせられた」

新たな未来を志向し引き受けた共同代表という重役。親川さんは、その後、「私たちが成しえなかった道を歩んでいる人たちがいる。だから、ぜひ一緒に観ましょう」と、在日朝鮮人や朝鮮学校の歴史を説明しながら、知人らに観覧を呼びかけていった。

一方で、不安もあった。「大きい会場だと聞いていて、どうなるんだろうと。47年ぶりに迎えるからには満席にして迎えたいけど、実際どれぐらいの方が来てくれるのかな」と。しかし、かのじょの不安とは裏腹に、チケットは見る見るうちに売れていき、「もう宣伝しないでください」とまで言われる状況に。当時を振り返り、「実は宣伝できないことが一番大変だったんです」と笑った。

新たな明日を志向して

会場に駆け付けた9割が沖縄の人々だった。

公演当日、ステージはもちろんのこと、多くの人でにぎわった場内の光景を記者に印象深く語った親川さん。かのじょが紡ぐ言葉の先にあったのは、白充さん、李栄淑さん夫妻への感謝の念だ。「こうやって人を繋げて、この場を作れたんだなって。(2人には)本当に感謝しています」。

公演成功の基盤には、実行委員会の主軸を成す白さん夫妻と、親川さんの間で温められてきた確かな絆があり、親川さんにとって2人は「初めてコミットする在日朝鮮人たち」だったという。一方で今回、「新たな明日を志向」するかのじょが、在日朝鮮人やその文化にコミットしようしたのには、沖縄の置かれた状況もまた関係している。

「遡ると、琉球は日本に侵略され戦争がおきて、人口の4分の1を失った。その後日本の独立のためにアメリカに売られ30年ほど統治下に置かれた過去がある。これでは大変だからと市民権を獲得できる日本に『復帰』したはずなのに…。結局40年経った今も米軍基地があるし、さらなる基地がつくられようとしている」

伝統を継いで活躍する歌劇団の次世代たち(写真は演目のラストを飾った「農楽舞2024」のステージ)

他方で、同化の流れも進んでいる。親川さんによると、約10年前の調査では「琉球の島くぅとぅばを聞けたり・話せたりしますか」との問いに、半数以上が「はい」と答えていたが、近年はその半分の約25%まで落ちたそうで、30代では5%足らず。「若い世代は聴くことも話すこともできない。そもそも琉球の言語があり、かつて琉球が日本ではなかった事実され知らない次元にある」(親川さん)。

だからこそ、同じ日本社会を生きる在日朝鮮人アーティストたちへの敬意や尊敬の念が、かのじょが放つ言葉の節々から感じられるのかもしれない。

公演後、沖縄の人々が「自分たちは何ができるかな」と語る姿を見て、「(歌劇団公演を)自分たちのテーマを改めて振り返るきっかけにもしていたんだな」と語った親川さん。かのじょは、白夫妻が持つ、違いをありのままに受け止め考える感覚が、より広い人々の間でシェアされていくことを願っていた。

「沖縄と朝鮮、日本のマイノリティー同士も繋がっているようでまだまだ繋がっていない。私たちの話をもっと広い人たちの間でできるような社会になれば、未来はもっと明るいはず」

(文・韓賢珠、康哲誠、写真・盧琴順)

ウチナーンチュの願い

歌劇団の姿に沖縄を思う

伝統を継いで活躍する歌劇団の次世代たち(写真は舞踊「山河を舞う」のステージ)

上原穂乃果さん(南風原高校3年)

最初から全身鳥肌が立ちっぱなしだった。高校で琉球芸能をやっていて沖縄の芸能には少し知識があったが朝鮮の芸能についてはプロをみたのが初めてだった。故郷を離れても、自分たちの民族芸能を大切にしている姿に、自分たちも同じ境遇なので親近感や共感が湧き、嬉しい気持ちになった。

芸能を通して、互いのことをちゃんと知り理解し合えるようになれば、すごく素敵だと思う。そして自分もその一員になりたい。

伊良波梨奈さん(25)

私は沖縄で生まれ育った生粋のウチナーンチュだ。中学のときから朝鮮文化や韓国ドラマが好きでハングルを学んだため、公演で話される内容が半分くらい理解できて、人一倍楽しめた。また朝鮮文化に接して勇気づけられた過去を思い出し、今日また勇気づけられた。

クオリティももちろんだが、「朝鮮の伝統文化を伝えたい、継承していきたい」という団員たちの思いが伝わってきて、終始涙目になってしまった。文化を守るということを、自分たちの立場に重ねて考えたからだ。

「沖縄文化を守っていきたいのに、自分は何をしたらいいんだろう」と葛藤を抱える中で、在日朝鮮人のコミュニティは繋がりが強く、文化を大事にしていきたいという思いも人一倍強く感じた。そこに胸を打たれたし、沖縄の伝統文化を守っていきたいという気持ちがより一層強まった。

宮城葉子さん(68、沖縄県立芸大OG)

芸術文化の力は、歌の魂にある。ウチナーンチュは言葉がなくなっていってるため、わらべ歌を通じて、とりわけ子どもたちに沖縄の言葉、歴史、文化を伝える活動をずっとやってきた。両親も戦争を体験し、かれらから苦しく悲しい思いを聴いているからなおさらのことだ。

公演では、歌、踊り、楽器の演奏を通して祖国を思う気持ちや魂を感じられたし、観客たちに「祖国を伝えている」んだと感じた。

男声独唱「トラジの花」(日本軍性奴隷制被害者の裴奉起さんへ捧げる鎮魂歌)は泣いた泣いた。かのじょは苦しい歴史を乗り越えてきて、がんばって、がんばって、こんな歴史があったんだと自ら世間に話した。かのじょの行動は大切だと思う。私はそういうものを伝えていきたいし、だからこそ、この活動をしている。

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