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わたしたちの「家」~寄宿舎が育むもの~②茨城初中高

2025年02月06日 09:10 わたしたちの家 民族教育

沢山の愛情を心に留めて

茨城初中高寄宿生たち

家庭教育、学校教育、社会教育-。子どもが育つうえで様々な教育が施されるが、親元を離れて暮らす朝鮮学校の寄宿生らは、どのような教育に接し、いかに成長を遂げているだろうか。連載「わたしたちの『家』~寄宿舎が育むもの~」では、各地3校の朝鮮学校の寄宿舎を訪ね、そこで暮らす生徒たちに迫った。

同胞たちは憧れの的

昨年11月中旬に茨城初中高を訪れた。同校で行われるバザー「ウリフェス2024」の前日で、実行委員会やオモニ会のメンバーなど関係者たちが学校に集まり準備の真っ只中であった。その中に、ひと際にぎやかな集団がいた。「完全にチヂミ職人になった」、「ちょっと味見しようか」、「オモニにチヂミ焼いてあげたら喜ぶかな」。声の主は同校の高級部生たち。バザーの時は大人たちだけでなく生徒らも働き手となる。高級部生たちの担当はチヂミ屋台で、生徒たちはチヂミを3時間半ほどかけて174食分焼き上げた。

バザーのために生徒たちはチヂミを174食分焼き上げた

迎えたバザー当日。食堂に向かうと寄宿生たちがバザーの準備をしていた。7時30分からの点検時間より1時間以上早く起きて、朝鮮料理を作るオモニたちの輪に躊躇なく混ざっている。

「ぼくたちは、学校のためなら、なんだって頑張れるんです」と話すのは、寄宿舎委員長の李爛世さん(高3、宮城出身)。同校は昨年度「寄宿舎事業」をテーマに学校の魅力を高めたとして「模範学校」の称号を獲得したのだが、李さんは「自分たちは、これといって特別なことはしていない。それなのに模範学校として表彰されたのは、地域同胞たちが寄宿舎、寄宿生のためにいろんなことをしてくださったからだ」と振り返る。「ウリハッキョを愛し、守ろうとする同胞たちを見て、ぼくたちも同じように大好きなウリハッキョのためにできることは全力で取り組みたいと思った」と誇らしげに話した。

早朝からオモニたちとバザーの準備をする寄宿生

寄宿舎の舎監を務める李悠沙教員は、「同胞たちの惜しみない愛情をそそがれた寄宿生たちが地域同胞たちに憧れるのは自然なことかもしれない。受けた恩を返そうという姿勢が、ある時は学業に反映されたり、ある時はスポーツや芸術大会などで優秀な成績を収めたりと多方面で表れる」と話す。李教員いわく、今回のような行事でそれが如実にあらわれるのは、現在高級部生23人中18人が寄宿生であり、「大多数が似たような境遇」にいるため、それが大きく影響しているという。

高級部生全員で日が暮れるまでバザーの準備に取り掛かった

 

1953年、同校が創立した当時は(茨城朝鮮中学校)は土浦市小松町に校舎を、土浦市大岩田に寄宿舎を構えた。その3年後には高級部を併設し、59年に現校舎と寄宿舎がある水戸市千波町に移転。しかし、62年3月に不審火に見舞われ校舎はほぼ全焼、寄宿舎も全焼したことで新たに建て直しが要求され同年8月に校舎が落成。寄宿舎はその5年後に落成した。寄宿舎が完成するまでの間、寄宿生たちは、近隣の牛舎や寺などに住まわせてもらったという。

校舎に隣接する茨城初中高寄宿舎

水戸移転後の60年代、同校の学区は拡大され群馬、栃木、新潟、長野、静岡、北海道、東北地方から生徒たちが同校を通った。70年代初頭に学区が再編成されてからは茨城、群馬、栃木、新潟の生徒らが同校の寄宿舎を利用していたが、2009年の東北初中高・高級部の休校以降、福島や宮城を中心とした東北地方の生徒たちが同校に通うようになり、かれらもまたその対象となった。現在は高級部生15人(東京出身1人、神奈川出身1人、茨城出身1人、群馬出身9人、宮城出身3人)と中級部生2人(茨城出身1人、群馬出身1人)がここに住んでいるほか、今年度からは北海道初中高・高級部の生徒たち3人も寝食を共にしている。

舎内には茨城初中高寄宿舎の歌が掲示されている

老朽化に伴い92年に新たに建てられた現寄宿舎は、三階建てで男子生徒が建物北側の2階で暮らし、女子生徒が東側の1階を使用している。他方で同寄宿舎には舎監4人の他、教員2人が住んでいる。

同校の寄宿舎は食堂、校舎、体育館など学校施設と連なっており、寄宿生たちは屋外を通らずとも校内へ移動できる。

寄宿舎生活のおかげで

連載の初回で紹介した広島初中高の寄宿生たちと同様に、寝食を共にすることで、本当のきょうだいのように仲が良いと自負する茨城初中高の寄宿生たち。

中でも、朴昇治さん(高3、東京出身)は頼れるお兄ちゃん的存在だと下級生たちは口を揃える。

そんな朴さんは中級部1年生の時に地元東京を離れ茨城初中高に進学した。同校での寄宿舎生活が誰よりも長い。

父子家庭で育つ朴さんが同校に進学したのは「アボジが昼夜問わず働いていて、当時中学生のぼくの生活面を考え、大人の目の届くところで暮らしてほしいと考えたからだ」と話す朴さん。「寄宿舎生活を通して『自立ってなんだろう』と考えるようになったし、今思えば、自分が『立派な大人になるように』というアボジなりの最善策だったのかなと思う。先生たちや同胞たちから、たくさんの愛情が注がれる寄宿舎での共同生活は何にも変えられない大切な経験になっている」と話しながら「将来は、いつもそばで見守ってくれる先生たちのような教員になりたい」と目を輝かせた。

月に2回オモニ会から寄宿生らに差し入れがある

一方で、昨年、同校に転入し寄宿舎生活を送ることになった李柚乃さん(高1、神奈川出身)は、過去に友だちとの関係がもつれ一時は登校が困難になったことも。両親と共に自身に合った学校探しをする過程で、日本学校にも通ってみたが、「やはりウリハッキョに通いたい」と同校への転入を決意した。

李さんの母、金愛民さん(49)は「無気力状態だった娘が学校に通えるようになっただけでもほっとしているのに、娘の笑顔を見ることができ、友だちと楽しく過ごしていると本人から聞けたことが何よりもうれしい」と話した。

李さんは、「大変だった時期も自分に必要な時間だったと思えるようになったのは、寄宿舎生活のおかげだ。それは、24時間、毎日一緒に過ごし、切磋琢磨するかけがえのない友だちに出会えたから」と微笑んだ。

部屋で楽しく過ごす高1の女子寄宿生たち

共同生活の中での自立

資格試験合格のために勉強に励んでいる

夕食後、共用スペースの多目的室には、資格試験合格のために勉強に励む生徒がいた。「部屋、うるさいんで」と苦笑いを浮かべながら「ルームメートと過ごすのが楽しい時もあるけど、やることやらないと」と、騒がしい自室ではなく静かな場所を求めていた。集中したいからと場所を移すことは、一般家庭でも目にする自然な光景だろう。寄宿生たちはまるで実の家のように自由に過ごしていた。

朝食の準備をする寄宿舎委員たち

同校寄宿舎には6人の委員らで構成された寄宿舎委員会がある。高級部の大多数を占める寄宿生らは学校生活とは違う組織生活を同委員会を中心に行う。とりわけ①生活面での自立(生活力の向上)、②寄宿生たちの団結力強化、③学習という3つの主要目標を定め生活を送っている。

副委員長の卞彩莉さん(高3、群馬出身)は「家にいたら親が何でもサポートしてくれるが、寄宿舎では身の回りのことは自分でやらなければならない。とはいえ、茨城ハッキョの寄宿舎では、食堂が運営されるので食事に困ることはない」と話す。「自立を目標に掲げているので、できる範囲のことをしよう」と今回、委員会では、はじめて休日の朝食と夕食を自分たちで作ろうと決めたという。卞さんによると昨年から「寄宿舎料理部」というクラブ活動を行ってきた経験が、今回の挑戦につながったのだとか。

寄宿生全員分の朝食を委員らが用意した

ほかにも、月に1回、文化委員を中心に娯楽イベントを企画実行し寄宿生どうしがより仲を深められるような活動を重ねているそうだ。

舎内の掃除を行うようす

学校生活のみならず、こうした寄宿舎独自のイベントも相まって特段仲もよくなり、上級生が下級生の勉強を見てあげたり、同級生同士、協力し合って勉学にも励むといった相乗効果も生まれる。

さまざまなことを吸収し生活の中で実質的な家庭・社会教育の場となっている寄宿舎で実践している生徒たち。「自分は何ができ、何をしたいのか」という自分自身に向き合う姿勢と自立心がしっかり育まれていた。

(李紗蘭)

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