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〈朝大専門家の深読み経済15〉中国独自のイノベーション(下)/張景瑞

2025年01月16日 10:23 寄稿

2005年に発足した在日本朝鮮社会科学者協会(社協)朝鮮大学校支部・経済経営研究部会は、十数年にわたって定期的に研究会を開いています。本欄では、研究会メンバーが報告した内容を中心に、日本経済や世界経済をめぐる諸問題について分析します。今回は、中国経済論を専攻する朝鮮大学校研究員の張景瑞さんが、中国経済について(全2回)解説します。

中国式イノベーションとは

中国では2000年代末から次第にイノベーション活動が活発になり、2010年代半ば以降その勢いはさらに増している。しかも、驚くべきことに、知的財産権(Intellectual Property Right、以下IPR)の保護が不十分であると広く信じられているような状況下でイノベーションが生み出されているのである。このような中国のイノベーションは、その独自性から、中国式イノベーションと呼ばれている。

加藤弘之・元神戸大学教授によると、中国式イノベーションとは、「最先端の技術革新ではなく、その技術をもとに実用的な改良を加える技術革新」であるという。言い換えれば、技術的な新しさを追求するものではなく、既存の技術を活用した新しい製品を追求するものである。

先進国とは異なる発展経路へ

丸川知雄・東京大学教授は、中国におけるイノベーションの特徴として「キャッチダウン型技術発展」をあげている。これは、「発展途上国の嗜好、需要、生産要素賦存、環境に適合するために、途上国の企業が主体となって、先進国の技術発展とは異なる方向に技術のフロンティアを押し広げるような開発行為」を指す。発展途上国が先進国の発展経路を辿って追いつこうとするキャッチアップと対をなす表現にあたる。

先進国において開発、製造された最新の製品は、技術的に最先端であり、高度かつ多彩な機能を有する。しかし、それが必ずしも発展途上国の人々に求められているとは限らない。私たちにとっても最近のスマートフォンがまさにそうであろう。人々の手に余るほど高度な性能を備えた高価な製品ではなく、それぞれの国・地域の人々にとって必要な機能を備えた低価格の製品を追求すること、これがキャッチダウン型技術発展であり、中国式イノベーションの重要な特徴である。

実際に、中国式イノベーションの代表例として、2000年代末から2010年代初頭にかけて普及した「ゲリラ携帯電話(山寨手機)」がよく紹介される。その多くはIPRを侵害していたり、義務付けられた型式認証を受けていなかったりしたが、中には既存技術を応用し独自の機能を備えた革新的な製品も多くみられたという。所得水準の低い人々の需要に合致し、携帯電話を広く急速に普及させる原動力となった。

このような中国式イノベーションを支えたのは、垂直分裂システムという細かい企業間分業である。丸川教授によると、垂直分裂とは、「従来一つの企業のなかで垂直統合されていたいろいろな工程ないし機能が、複数の企業によって別々に担われるようになること」を指す。

中国の携帯電話産業ではこの垂直分裂が非常に進展した。それは、高い技術力の必要なコア技術(集積回路、IC)が技術プラットフォームとして市場に供給されたことで生産に必要な固定費が低下し、参入障壁が引き下げられたためである。技術プラットフォームさえ入手できれば、あとは既成の部品を買い集めて組み立てることで製品を生産することができたため、高い技術力を有さずとも企業や個人が携帯電話市場に比較的容易に参入できるようになった。こうして無数の中小零細企業からなる垂直分裂システムが形成され、これが中国式イノベーションを支えたのである。

不十分な知的財産権保護下で

一般的に中国ではIPRの保護が不十分であると考えられており、とりわけ2010年代初頭にかけては実際にそのような状況にあった。中国式イノベーションは、このような状況であったからこそ生み出されたといえる。

IPR制度は、一方で知的創造物の他者による利用を一定期間制限することで創作者の私的利益を保護し、他方でその内容を社会的に公開して利用を促すことで社会全体の利益を保護する制度である。この制度は、研究開発活動に対するインセンティブを生み出すと同時に、その成果の社会的活用を可能とすることで、イノベーションを促進すると考えられている。

しかし、IPR制度は、私的利益と社会全体の利益の間の調整をいかに行うべきかという問題を抱えている。とりわけ1980年代より産業競争力の回復を目指した米国によって強力なIPR保護を求めるプロ・パテント政策が国際的に推進されて以降、創作者の私的利益により重きが置かれるようになった。その結果、創作者や権利所有者によって知識や技術が独占されたり、他者のIPRを侵害してしまうリスクを考慮して潜在的な研究開発活動が抑制されたりするなど、私的利益を過度に強く保護することで社会全体の利益が損なわれるという弊害が生じている。

この問題は発展途上国にとってさらに深刻である。1995年に発効したTRIPs協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)によって発展途上国にも強力なIPR保護が求められるようになった。科学技術力の低い発展途上国における先進国と同水準の強力なIPR保護は、知識や技術の移転、普及を制限することとなり、経済発展やイノベーションをむしろ阻害するリスクを高めた。過去に先進諸国がキャッチアップの過程で行ってきたリバース・エンジニアリングといったインフォーマルな技術移転が規制され、技術の移転や普及にライセンス料などのばく大なコストが常に伴うようになった結果、技術移転そのものが困難になったのである。

このようなIPR制度の問題点を踏まえると、模倣や応用を主とする中国式イノベーションは、2010年代初頭にかけて中国でIPRの保護が不十分だったからこそ実現しえたといえよう。

真価が問われる社会主義中国

中国のIPR制度は改革開放を機に1980年から導入され始め、半世紀にも満たない極めて短い期間で整備されてきた。先進資本主義諸国のIPR制度の多くが200年前後の歴史を持ち、日本でも140年の歴史を有することを考えれば、30年間の計画経済期を経て導入され急ピッチで整備されてきた中国のIPR制度がなかなか社会に定着・浸透せず、権利保護が十分でない状態が続いていたのも無理はないだろう。

【図表】中国におけるIPRと関連する民事訴訟受理数(一審)の推移
出所:国家知的財産権局『中国知的財産権保護状況』(各年版)、最高人民法院知的財産権裁判所編『中国法院知的財産権司法保護状況』(各年版)に基づいて作成

しかしながら、2010年代を通じて、中国ではIPRと関連する民事訴訟受理数が急激に増加している(【図表】参照)。2000年代に入り、中国政府はイノベーションを経済発展戦略の柱の一つに据え、IPR制度の発展に積極的に取り組み始めた。そして、2010年代には、IPR関連紛争を専門とする裁判所を設置したり、侵害行為に対する罰則を強化したりと、IPR保護を改善し強化するための様々な施策を講じた。訴訟数の増加は、これらの諸施策がIPRに関する紛争処理能力の飛躍的な向上や、社会的なIPRに対する認識の深化をもたらしたことを示唆している。

そして、このIPR保護の改善・強化とともに、IPR保護が不十分な状況のもとで他者の知識や技術をインフォーマルに利用することで生み出されてきた「中国式イノベーション」が、技術を自主開発してIPRとして保護し、またフォーマルなIPR取引を介して知識や技術を社会的に共有するかたちへと次第に変化・発展しはじめている可能性がある。華為(ファーウェイ)やBYDなどによる数々のイノベーションはまさにその好例であろう。

知識や技術をIPRとして囲い込んでその利益を独占し、技術による支配=隷属に向かう資本主義・帝国主義の道を辿るのか、IPRを社会的に、国際的に有効かつ積極的に活用し、技術による共同発展・共同富裕を目指す社会主義の道を切り開くのか。科学技術・イノベーションにおいて世界をどのようにリードするのか、改めて社会主義中国の真価が問われている。

(朝鮮大学校研究員)

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