〈70年の自負、100年への自信➀〉学舎移転65周年を迎えた朝鮮大学校
2024年12月25日 09:30 寄稿朝鮮大学校は2026年に創立70周年を迎えます。当欄では、大学が歩んできた道のりや現在の教育内容、活躍している卒業生、70周年に向けた取り組みなどを多角的に紹介します。執筆は朝大の教員、関係者が担当します。(月1回掲載)
“若き胸に希望、祖国の愛に包まれ”
「若き胸に希望を抱き学び舎に入らば/あふれる祖国の愛に包まれるあたたかさよ」
韓徳銖初代学長が作詞した朝鮮大学校校歌の一節だ。朝大は、総聯結成の翌年、1956年4月10日に創立された。
総聯の結成は、紆余曲折を経てきた在日朝鮮人運動の新たな地平を開く転換点となったが、民族教育を担う教員をはじめ拡大する運動現場の人材の需要にこたえるべく、「民族幹部」の養成を目的に創立されたのだ。
とはいえ、植民地支配から解放されて10年余りの在日同胞社会が、自らの力で高等教育機関を立ち上げ、運営するのは容易でなかった。東京朝鮮中高級学校の木造校舎の一部を仮学舎として利用し、10余人の教員と60余人の学生からなる2年制の大学としての出発であった。
資金も経験も乏しく、創立当時、「大学」と称するのが、はばかられるほどであった朝大が、総合大学の体裁を備え、民族教育の最高学府として発展を遂げる転機となったのが、1959年6月の新学舎への移転であった。
当時の小平町は、武蔵野の草原が広がる人口7万人に満たない僻地であったが、ここに2万坪のキャンパスを構えた新しい学舎が建設された。在日朝鮮人運動の未来に向けた唯一無二の大学建設は、一世同胞たちの血のにじむ努力と献身なくして成就しえなかった。そして、その同胞たちに希望と勇気を与えてくれたのが、1957年4月に祖国から送られてきた教育援助費と奨学金であった。
祖国の支援が民族教育を活気づける中、第2次教育援助費(同年10月)の全額が、朝大の学舎建設費に充てられた。このような歴史が刻まれた学舎の建設から今年で65周年となる。いまも凛としてそびえ立つこの学舎で、これまで多くの卒業生たちが「祖国の愛に包まれるあたたかさ」を体感しながら学び、巣立ち、日本の各地で在日朝鮮人運動と民族教育を担っている。
創立70周年に向けて
1960年代の運動を通じて実現した在日同胞の祖国への往来が、1980年代に一般化されて以後、祖国と朝大の紐帯はいっそう強まった。学生たちは在学中に祖国での研修に参加し、教員にも金日成綜合大学など祖国の大学や研究機関での研究の道が開かれ、朝鮮民主主義人民共和国の学位・学職が授与されるようになった。
すでに朝大の日常となって久しい祖国への往来が、コロナ禍によって突然途絶えた。今学年度の卒業学年は、高級部(高校)時代にも祖国を訪問できなかった世代である。祖国の地を一度も踏まずして民族教育の全課程を終えていく。誰もがそう思っていた矢先に、いまだ防疫体制を敷く祖国より特例として朝大生の祖国訪問が再開されるとの吉報が届いた。
5年ぶりとなる祖国での研修から戻った140人の教員・学生から横溢する祖国への感謝の念。学内に祖国の空気が立ち込めている。
祖国での学びや感想を聴いてほしいと筆者の研究室を訪ねてきたある学生は、朝大の大先輩でもあるアボジと祖国について夜通し語ったという。そう話すかれのことばに日本語は単語一つあらわれず、首尾一貫、祖国で学びなおしたという流暢なウリマルであった。
2024年を回顧しながら思う。祖国と民族を志向し同胞社会の担い手となる人材を養成する、との朝大建学の精神は、祖国との強い紐帯の中で今後とも生き続けるだろう。
さて、朝大は、再来年に創立70周年を迎える。建学の精神を継承するためには、時代のニーズに応じて変化も必要だ。現在、「新時代教育革命」を掲げる祖国の教育事情や世界の高等教育のすう勢を読み取りながら、教育構造の革新について議論している。9月には、老朽化した学生寮の建設と耐震補修に向けて、李清敏理事長と李英一同窓会会長を共同代表とする「寄宿舎建設委員会」が結成された。
本欄では月1回、固定タイトル「70年の自負、100年への自信」のもと、朝大の歴史と現在、そして創立70周年事業など未来に向けた構想について連載する。この固定タイトルは70周年事業のコンセプトで、学内公募で採用された。金真美准教授(文学歴史学部)の案である。連載は、2026年の秋までを予定している。必読願いたい。
(李柄輝・朝鮮大学校教務部副部長、教授)