〈ミョンオギの弁護士日記 1〉隔てられた家族
2013年03月11日 16:10 権利北朝鮮核実験、制裁強化―こんなニュースを見てある依頼者の面影が心によぎった。
その依頼者(仮に「金さん」としよう)の家族は朝鮮で暮らしていた。金さんの依頼―それは、自分の死後、朝鮮の家族のために遺産を整理し、遺骨とともに引き渡してほしい、日本での死後の手続きを家族の代りに行ってほしいというものだった。金さんには身の回りの面倒を見てくれる友人がいたが、早くに日本人の連れ合いを亡くし、日本人として生きてきた金さんは、誰にも出自を打ち明けていなかった。遺言作成と執行、死後事務の事件として引き受けた。
あくる年、金さんは主治医から予想外の余命宣告を受けた。最後に家族に一目会いたい、主治医は飛行機に乗ると命を落とす危険もあると言ったが、その一心で飛行機に乗った。金さんの無事を日本で願いながら、あの時ほど万景峰号があれば、と思った日々はなかった。何とか家族に会うことはできたが、飛行機の旅の負担は大きく、日本に戻られてすぐに亡くなった。
朝鮮の家族は金さんの遺骨を抱きしめ、「せめてお水の一杯でも自分たちの手であげたかった」と泣いた。遺骨の一部は、金さんの希望で夫婦の思い出の地で散骨にした。同行してくれた金さんの親友は、事情を察しながらも何も聞かずに、川縁でお線香をあげてくれた。随分経ってから金さんの死を知った日本の親族は、「うちの墓に夫婦で入ってほしかった」と悲しそうだった。金さんは、朝鮮人の自分を代々の墓に入れるのは嫌だろうと思っていたのだ。それほど若い時に受けた差別の傷はその心に深く根付いていた。
繰り返される制裁は家族を引き裂き、北朝鮮=悪とする報道は、朝鮮人であることや朝鮮の家族の存在を無二の親友にも打ち明けられないほど金さんを追い詰めていた。そして、わかり合うことができたはずの人々とさえ隔てられてしまっていた。尊重と理解のないところに平和は生まれようもなく、朝鮮への制裁は、在日朝鮮人を苦しめることにだけ成果を発揮していると感じる。「早く日本と朝鮮の関係が正常化されてほしい」金さんの親族の言葉だが、生きているうちに伝えてあげたかった。
(裵明玉)