〈歴史の「語り部」を探して〉歴史が忘れ去られてしまう前に/三重・伊賀編
2024年01月13日 09:00 歴史忘れ去られていた犠牲者
はじめに訪れたのは伊賀市伊勢路に位置する、旧青山トンネル工事事故犠牲者の供養塔。1928年から1930年の間に行われた鉄道トンネル建設中に事故で亡くなった、朝鮮人8人を含む作業員16人を追悼するものだ。当時、機械の下敷きになるなどして犠牲になった同胞らはいずれも10代~30代の若者だった。
供養塔はトンネルが完成した30年に建てられたが、事故を伝える町史からは朝鮮人犠牲者の名前は抜け落ち、同胞犠牲者の存在は長い間忘れ去られていたという。2002年、地元中学校の生徒が供養塔に刻まれた犠牲者数と町史の記載に差があることに気づいたことをきっかけに、朝鮮人犠牲者の存在が明るみになった。以降、毎年慰霊祭が営まれている。
道路の脇にひっそりと鎮座する供養塔は緑に苔むしている。刻まれた名前は薄れていて、ほとんど読むことができない。かろうじて判別できた「金」や「李」「徳」といった漢字が先人の確かな存在を伝えていた。
移設された朝日友好の証
供養塔を離れ、伊賀上野城がある上野公園内の帰国記念石碑へと向かった。伊賀上野城は、戦国時代に築城され、明治時代の廃城を経て1935年に天守閣が再建された。高低差のある「高石垣」は築城当時のまま残っており、戦国時代の雰囲気をそのままに伝えている。上野公園にはほかにも四季折々の景観とともに忍者屋敷、俳聖殿といった名所や旧跡が数多くあり、市の観光名地として親しまれている。
1959年から実現した在日朝鮮人の祖国への帰国を記念し、当時の上野市議会関係者や自治体関係者らにより建てられた石碑は、公園内の一角、ひときわ奥まった人目につかない場所に佇んでいた。石碑を撮影していると、公園の清掃員であろう男性に声をかけられた。男性は口を開くなり、「この石碑、もとは天守閣の目の前にあったんだ。それがなぜこんな暗くて誰も気づかないような場所に移設されてしまったのか。私は日本人だが、納得がいかない」と怒りをあらわにした。