〈ものがたりの中の女性たち75〉あの世でもひもじくないように―ある母
2024年01月15日 09:00 寄稿あらすじ
昔、東萊(トンレ)巴城西門の近くにある母子が住んでいた。ある日、母は幼い息子の手を引いて、東萊府使赴任の行列を見に往来に出る。仙女の格好をしたあでやかな妓女たちと、甲冑を身にまとった勇ましい武人たちを目にした息子は、「母さん、僕もあんな風になれますか?」とつぶやく。
母は「私たちの身分では無理よ」と答えるしかない。その言葉に衝撃を受けた息子は、その日から食欲がなくなり、言葉数も少なくなり、数日後には病で亡くなってしまう。たったひとりの息子を失った母は悲しみの中、無為に日々を送る。ある日、息子が夢枕に立ち、自分は都にある宰相の柳家に転生して、下賤だと罵られたりせず幸せに暮らしているので心配いらないと言う。
その後、母は、あの世で幼い息子がひもじくないようにと、数十年に渡って祭祀を続けるが、柳淰は毎年誕生日になると東萊を訪れ祭祀の供物を食べる夢を見続ける。成長した彼は東萊府使として赴任するが、生まれて初めて訪れた東萊の街が夢の中で見た場所と全く同じで驚く。ある夜、柳淰はどうしても気になり、祭祀の食事をした家を探し訪ねてみると、老婆が祭祀の祭壇の前でとめどなく涙を流している。わけを聞いてみると、その老婆が自分の前世での母だということが分かる。その後、柳淰は東萊府使として赴任している間、前世での母にお金や穀物を届け、何かと気に掛けるようになり、そのおかげで前世の老母は平穏に暮らし天寿を全うしたという。
第七十五話 母の心
「母の心」は、実在の東萊府使柳淰(リュシム)(1608~1667)にまつわる口碑伝承である。身分差別のために挫折し病死した幼いこどもが宰相家の息子として転生、東萊府使に就任し前世での母親に再会する説話である。釜山には柳淰の善政を讃える「柳淰善政碑」が建てられている。
前世の縁や転生、正夢や一途な祭祀の履行などのモチーフは、古典文学作品や口碑の伝承、伝説など頻繁に登場する。主人公の名前や身分、赴任地だけが違い、あらすじが全く同じという説話は数多く存在する。「母の心」もそんなものがたりの中のひとつだが、実在の人物が登場するという点が特異である。
亡き人を想う
夭逝した息子のために、数十年に渡り祭祀(チェサ)を行い続ける母のものがたり。一般的に親より先にこの世を去った子のためには祭祀はしないと言われているが、実際には現代でも亡き子を偲んで祭祀を行う家族も多くあり、古典小説や伝説、伝承、説話では子を想う親が祭祀を行う場面も散見される。
どの作品にも共通しているのは、「あの世であの子がひもじい思いをしてはいけない」という切ない親心である。儀式の次第や方角が重要なのではなく、