〈本の紹介〉青柳優子訳「白石詩集」
2013年02月13日 10:25 文化・歴史透明な叙情と日帝支配への抗拒
日本で最も広く知られている朝鮮詩人は尹東柱であろう。この詩人は日本人の愛好者も多く各地で作品の朗読会が、しばしば開かれている。その尹東柱が敬愛し影響された詩人が、ほかならぬ白石である。
白石は1912年に平安北道定州郡で生れ、独立運動家育成を目的とした五山高等普通学校で学んだ。30年に朝鮮日報の新春読者文芸に当選して奨学生に選ばれ、東京の青山学院高等学部英語師範科を卒業した。朝鮮日報に入社後、36年に処女詩集「鹿」を自費出版して詩人・文芸評論家の金起林から高く評価された。39年に咸興で英語の教師を務めたが2年程で退職して平安道の各地を巡って、40年から2年余り旧満州で職についた。解放を迎えると故郷の定州に戻り、四七年に文学芸術総同盟の外国文学分科に所属してロシア文学の翻訳にたずさわり、また童話詩集を発表したが、59年以後は協同農場で働き95年に没した。反朝鮮を唱えて越南した具常、黄順元ら少なからずの文学者とは対立的な、晩節を汚さぬ生涯であった。
白石が詩を発表したのは30年代後半から40年代で、朝鮮語が抹殺の危機に直面し、日本語による親日文学が横行していた時期であった。だが白石はいかなる文学的エコールにも属さず、ただの一編も親日作品を書くことなく、寡作ながらも、朝鮮語で書き続けた。北辺の地定州周辺の方言を全身に浴びながら育った白石は、それを詩語として自在に駆使して、郷土に籠められた土俗的情緒をリアルに、そして典型的に再現した。彼が用いた題材は、民間信仰、民話、俗謡、風俗、習慣、食材、料理、漢方、汁器等々、古くから伝承されてきた民族的なものをすべて包含している。そして、これらの題材を、貧しいながらも、太古からの自然に囲まれた農村で肩寄せ合って生きる農民の生活をとおして、詩として紡ぎ出したのである。
彼の詩は、一読のみではセンチメンタリズムを覚えさせる。しかし深く読むと、そのセンチメンタリズムは否定されていて、現実告発の叙情が息づいていることがわかる。詩語そのものと詩的表現において抽象性が意識的に否定されているために、難解な作品は見当たらない。
国と民族を収奪し抹殺する日帝の野蛮と屹然として対峙し、民族の魂の象徴としての朝鮮のものすべてに愛情を注いで詩を書くことは、それ自体が日帝支配に対する抗拒である。
代表作の一編「焚火」は、「縄の切れ端も 古靴も 牛の糞も 靴底も(中略)燃える焚火」「不運にもずんべらぼうになった 悲しい歴史がある」という内容であるが、「ずんべらぼうになった」という表現には、収奪された植民地の現実が示されている。
名訳を成した訳者は丁寧な解説をつうじて、白石の詩の透明な叙情が反植民地の抵抗の精神を宿していることを指摘している。こうした見解を持ち得た訳者に巡り合えたのは、白石にとっては、まことに幸いであったと言える。
(卞宰洙)