〈ものがたりの中の女性たち73〉「夫を見ませんでしたか?」―宋氏の妻
2023年11月02日 10:26 寄稿あらすじ
吹笛山の麓に宋氏という若い男が、盗伐、乱伐を監視しながら山の手入れをする山(サン)直(ジク)(山守)として、新妻と仲睦まじく暮らしている。
仕事を終えた夫は、家が見える峠に差し掛かると嬉しさの余り大きな声で妻を呼ぶ。それに答えて妻は、庭に出て笛を吹く。ところが去年の冬は武装した集団が盗伐を繰り返したので、役所に警備を頼む。ある日の深夜、去年の奴らが刃物を手に家に侵入する。金目のものをすべて奪うと、彼らはそのまま山に向かい、手当たり次第に木々を切り倒す。やめろと叫び後を追った夫は、奴らに斧で切り殺される。残された妻は夫を山に丁寧に埋葬し、その後を継いで山守の仕事を続ける。また冬になり、雪が降りしきる深夜、奴らは現れる。隠れていた妻は、盗賊の頭目めがけて斧を振り下ろす。頭目がこと切れたことを確認すると、宋氏の妻は山中の夫の墓まで行き、その前に倒れ込み号泣する。後を追ってきた残党に背後から襲われ、妻は夫の墓の前でこと切れる。その日から、天気の悪い日や、夜になると、山中に物悲しい笛の音が響くようになる。山の木を切ろうものなら、岩が転がり落ち、落雷がある。恐ろしくて誰も山には入れなくなり、夫婦が怨霊になったと案じた村人が寺を建てたが、怪異は収まらない。今も吹笛山では木を切ろうとするとどこからともなく喪服の夫人が現れ、「夫を見ませんでしたか?」と聞くという。そう問われた人は、後に未知の病や不慮の事故で亡くなる。宋氏の妻は山神になり、吹笛山を守っているという。
※山直(산직,산지기ともいう)
特定の門中(ムンジュン)(문중、始祖を同じくする父系の血縁集団)の共有財産である門中山や松契山、村落共同の財産である洞林(동림, 동네산ともいう)を保護、管理する仕事。
第七十三話 吹笛山の伝説
「吹笛(チゥィジョク)山の伝説」は数多くある山にまつわる伝説のうちのひとつである。
「鶴城山の伝説」、「雪華山の伝説」、「浮来山の伝説」、「鉄峰山の伝説」、「智異山の伝説」など、吹笛山と同じように実在の山にまつわる伝説の他に、架空の山の伝説もある。山神にまつわる伝説は多くあり、始祖王降臨譚や人が山で亡くなり山神になったり、親孝行な息子や娘が犠牲になり山神になったり、山自体が移動する山神であったりと多様である。また山神の姿は、仙人のような長い髭を蓄えた老人、山姑に代表される老婆の姿、美しい仙女や女神、王の姿や虎や龍、山そのものなど多岐に渡り興味深い。
「吹笛山の伝説」のように悲しい伝説も多く、「鶴城山の伝説」はとくに悲劇的である。その内容は、継母が夫亡き後、財産を自分の息子にだけ継がせるため、前妻の娘である姉と自分の子である弟に、負けた方が死ぬ(!)という無茶な賭けを強要し、姉娘には城を建てろと命じ、その邪魔をして追い詰め自死させ、弟は母の愚かな行いを諫めるために姉が死んだ谷に身を投げ自死、ふたりは美しい鶴になり空を飛び続け、愚かな継母は血の涙を流し続けるというものである。
幸せが壊れるとき
宋氏とその妻は、ささやかな幸せを噛みしめていた。
山守の仕事は大変だったが、報酬の代わりに山の一角を耕すことを許され、柴刈りや薬草、山菜や季節の花々、季節ごとの木の実など山の恵みを享受する生活に満足だった。宋氏は晴れの日も雨の日も誠実に山を見回り、手入れを怠らない。妻は畑仕事の傍ら機を織り、針仕事に勤しみ、やりくりをして冬の貯えに余念がない。見回りが終わると毎日、夫は遠くから妻の名を呼ぶ。妻は笛を吹いてそれに答える。ふたりで夕食を囲み、その日一日にあったことを話し、笑い合う。ふたりは幸せそのものだった。盗伐者どもとのせめぎあいは神経をすり減らすものだったが、一日の終わりに聞く美しい笛の音はなにものにも代えがたい喜びがある。去年の冬は役人まで出動する大変な騒ぎだったが、おおむね山は無事だった。
宋氏は村や親族の共有山林を保護するための「松契(ソンゲ)」に属していた良人か、山の所有主に隷属していた賎民のどちらかであったはずだが、口伝の内容からうかがえる彼らの暮らしぶりから、「松契」に属していた平民の若夫婦だろうと思われる。「契(ケ)」とは一種の相互扶助,親睦などを目的とした団体で、村の公益を目的とする洞契 (村での公益事業の経営)、松契 (村共有の山林の管理、経営)、学契 (学校の経営)、同族共済を目的とする宗中契 (祖先の祭祀や相互扶助)、婚葬契 (同族の冠婚葬祭の相互扶助)、生産の扶助を目的とする農契 (土地の共同利用、収穫の分配) のほか、営利を目的とする契、 社交、娯楽を目的とする契などいろいろな種類がある。
朝鮮王朝時代、燃料はほとんど木に依存していたので、ごく自然に、村の周りの山林は村共有の燃料の調達対象であり、その山林の保護と管理のための松契であり、それは村の存続にかかわる命を守るための契でもあった。山林保護は役所の役目でもあったため、松契を奨励し、盗伐者に対しては笞刑や罰金も辞さず、警備を置いたりもした。
若い宋氏は村と自分たちの生活を守るため、違法な伐採を命を懸けて阻止し犠牲になる。妻は実家に帰るどころか、山に夫を埋葬し、祭祀を行い、たったひとりで山守の仕事を続け、夫の敵を討った後盗伐者に殺されてしまう。だが、彼女の魂は山に残り続け、笛を吹きながら夫を探し求めてさ迷う。
彼女は吹笛山の山神になったと口伝されるが、健康で美しかった輝く日々を、一瞬で奪われてしまった恨みと悲しみを抱え、木を切る者に今日も尋ねる。「私の夫を見ませんでしたか」と。
(朴珣愛、朝鮮古典文学・伝統文化研究者)