〈朝大専門家の深読み経済5〉ビジネスパラダイム・シフトへの視座(下)/趙栄来
2023年09月07日 13:46 寄稿2005年に発足した在日本朝鮮社会科学者協会(社協)朝鮮大学校支部・経済経営研究部会は、十数年にわたって定期的に研究会を開いています。本欄では、研究会メンバーが報告した内容を中心に、日本経済や世界経済をめぐる諸問題について分析します。今回は、マーケティング論・経営戦略論を専攻する朝鮮大学校経営学部学部長の趙栄来教授が、ビジネスパラダイム・シフトについて(全2回)解説します。
前稿(連載㊤ ※7月28日付掲載)において、ビジネスパラダイムが株主価値最大化もしくは株主至上主義経営パラダイムから持続可能な経済(営)を目指したステークホルダー重視パラダイムへと転換しつつあることについて論じた。本稿(連載㊦)においては、この「転換」をいかに解釈すべきかについて論じる。
既にあったパラダイムシフトの予兆
株主価値最大化もしくは株主至上主義経営パラダイムの総本山とも言えるビジネスラウンドテーブルや世界経済フォーラムから、なぜ、パラダイムシフトが発せられたのか。
その直接的な背景に、全地球的規模での経済の拡大に反比例した格差の拡大、SDGsや持続可能な社会の実現に向けた世界的気運の高まり、深刻化の一途を辿る気候変動があることに異論はないだろう。彼らの論理からすれば、その「転換」はまさにこの人類的かつ世界的危機を克服しウェルビーイング(個人や社会の良い状態-WHO)をもたらす経済主体としてのミッションを果たす積極的イニシアティブの発揮に他ならない。
だが、なぜ、今なのか?という疑問が残る。なぜならば、ローマクラブが1972年発表の『成長の限界』において、100年以内に人口増加と経済成長を因子とした環境汚染や資源の枯渇、食糧不足などが生成し地球の成長が限界に達すると指摘していたからである。また、2000年代以降に限っても粉飾決算と株価操作などの不正会計によって倒産したエンロンやワールドコム事件があり、低所得者向け住宅ローン(サブプライム・ローン)の乱発と金融工学を駆使した債権の証券化が根拠薄弱な元本保証保険と融合し細分化されグローバルに拡散することによって引き起こされたリーマンショックなどによって、その限界が明るみになったにもかかわらず「転換」は遅々として進まなかったからである。
また、経営学においても間接的にではあるが「転換」を促す主張が長期にわたって説かれてきた。
その代表は、Corporate Social Responsibility (企業の社会的責任。以下、CSR)論議であり、Creating Seared Value(共有価値の創造。以下、CSV)論議である(【図表】参照))。
CSR論議は、経営学において1920年代の雇用問題への対応から始まり、1960年代の公害問題の追及から社会的公器としての企業の社会的責任論の系譜を引く。その後、CSR論議は企業活動の結果が社会に負の影響を与えるものとはなってはならないという側面と企業活動によって得た収益をもって行う社会的貢献活動〜メセナやフィランソロピー〜の側面からアプローチされた。この流れが企業経営における法令遵守志向やISO(国際標準化機構)マネジメントシステムの規格化を促し、また、学問としての環境経営学の確立と展開に影響を与えた。CSR論議が間接的に既存パラダイムの「転換」を促している点は、ステークホルダー経営が浸透しているヨーロッパにおいて、「CSRは、本質的には、社会をより良くし、社会をよりきれいにするために企業が自発的に貢献するという概念」(欧州委員会、2001年)から「企業の社会へのインパクトに対する企業の責任」であり、そのために「企業はその事業活動と中核戦略の中へ社会的、環境的、倫理的、人権および消費者の諸課題をステークホルダーと緊密に協働して適切に統合しなければならない」(同、2011年)と改定され、持続可能な社会に向けての企業の社会的責任に「自発性」よりも「義務性」を強調した点からも窺える。
このように、CSRが利益創出とは一線を画し、倫理的側面を強調し社会的活動を企業活動の「周辺」として捉えていることを踏まえて、経済的利益と社会的利益のトレードオフ(二律背反)を克服するのみならずそこに相乗効果がある点を説いたのがハーバード大学のマイケル・E・ポーター教授らが提唱したCSV(2011年)である。
「社会や経済の環境をより良くしながら、企業の競争力を高めるための方針と実践」と定義するCSVには、例えば、電気自動車や燃料電池車が走れば走るほど二酸化炭素排出量が削減され結果的に環境悪化の低減につながるようなインサイド・アウト型とIT企業が、無料のソフトウェア開発トレーニング・スクールを開講し受講者に職業能力向上による就労機会(社会には優秀な人材確保機会)を提供すると同時に、優秀なプログラマーを採用・確保することで企業の競争力強化につながるようなアウトサイド・イン型がある。
このようにCSVは、社会的課題の克服過程で経済的価値を創出するのか、経済的価値の創出過程で社会的課題を克服するのか、すなわち共有価値の創造を戦略的にデザインするところに新奇性がある。また、近年では企業活動を通して、どのような社会を作りたいのかを問うパーパス経営も注目されている。
ビジネスパラダイム・シフトへの視座
最後に、現代企業、とりわけ独占的で多国籍化した企業が率先している現在進行形のビジネスパラダイム・シフトという「転換」をどのように捉えるべきなのだろうか?そのカギは、「危」と「機」にあるようだ。
「危」とは、株主価値最大化もしくは株主至上主義経営(したがって、新自由主義)の限界がいよいよ顕在化したことを物語っているということである。しかし、そこには、自らが「危機的状況」を招いたという自省よりも、「SDGsはアヘン」(斎藤幸平『人新世の資本論』)であるかのように、「危機的状況」をビジネスチャンスという「機」に「転換」しようとする側面が透けて見えてくる。
「資本主義の歴史は、富める人々が自分たちの富を使って権力を確保し、さらに利潤を増やす方向でルールを作り上げることの連続だ。ダボスマンは憂慮する地球市民の一員として振舞ってみせながら、社会が進歩するためには、彼らが一人勝ちできる状態が必要条件だというような考え方を浸透させた。」(ピーター・S・グッドマン『ダボスマン-世界経済をぶち壊した億万長者たち-』)
したがって、資本主義の転換なしには根本的な解決には至らないのだが、この「転換」がグローバル経済至上主義への批判をかわしショック・ドクトリン(別項参照)の作用によって、後戻り-地球環境を持続させるためのプロジェクトが開発を持続させるプロジェクトに「転換」-することなく、少なくとも「より人間的な」生活と環境を勝ち取るためにも我々にはステークホルダーの一員である労働者・消費者としてのチェック機能を高めることが求められるであろう。
(朝鮮大学校経営学部学部長、教授)
経済豆知識/ショック・ドクトリン
ユダヤ系カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインによる言説。ショック・ドクトリンとは、ある社会に壊滅的な惨事が発生した直後の、人々がショック状態に陥り、茫然自失のまま抵抗力を失っているときに、そのような衝撃的出来事を好機と捉え、巧妙に利用する政策手法のことを指す。クラインは2007年刊行の同名書籍において、1970年代後半に、軍事クーデターで成立したチリ・ピノチェト政権の経済顧問に就任したフリードマンが公的セクターの民営化の名のもとに断行した新自由主義経済政策や2005年にハリケーン・カトリーナに襲われた米ニューオリンズ市において、学校(公立学校は123校から4校に激減)、病院、交通システムといった公共部門が民営化されたケースなどを事例として挙げている。
(朝鮮新報)