〈どうほう食文化〉冷麺物語(6)-粉をこねる機械に挑む
2013年10月16日 10:10 文化盛岡冷麺「明月館」
東日本大震災から2年を経た3月、岩手県立博物館では、「戦後復興の軌跡、震災復興への希望」をテーマに「いわての昭和モノがたり」を発行した。小冊子では、戦後の復興の軌跡を震災復興への希望と捉え、3ページにわたり「海を渡る冷麺」と題して1950年代から60年代、70年代、そして今日に至るまで岩手の人々に親しまれ、岩手名産の指定を受けた「盛岡冷麺」について記述している。
朝鮮半島にルーツを持つ盛岡冷麺を提供する料理店として食道園はもとより、三千里、大同苑、明月館、盛楼閣、ぴょんぴょん舎の名を挙げ紹介した。
朝鮮初の朝鮮料理専門店の名で
「明月館という店名は夫が朝鮮にいたとき覚えていた食堂の屋号です。宮廷料理人が朝鮮料理を提供したという朝鮮初(1903年創業)の本格的食堂で、社交場。そればかりではありません。あの3・1人民蜂起の独立宣言をしたところでもあるんです」
こう語る店主の卞順漢さん(79)は、総聯岩手県本部委員長を33年間務め、半世紀以上にわたり愛族愛国活動に多大な功績をのこした故崔碩文顧問を支え、自らも女性同盟委員長、顧問を歴任する愛国的1世である。
焼肉明月館は、戦前に慶尚北道から中国の延辺を経て日本に渡ってきた卞順漢さんと卞さんのオモニが、盛岡市上田で1958年に開店した東華苑が前身になっている。
朝鮮戦争「特需」を機に景気がよくなった1950年代後半、東京では焼肉店が流行っていた。東北でも次第に焼肉店が増えていった。1968年に開店した明月館では、李承晩大統領に料理を出した経験もある有名な料理人が厨房に立った。
気鋭の料理人が腕を振るった冷麺は、蕎麦粉が入った極細の麺とあっさりスープの平壌冷麺だった。しかし、それがなかなか地元に馴染まなかった。すでに食道園が創った平壌冷麺が市民の胃袋をつかんでいた。料理人は蕎麦粉を抜くことに反対したが、食道園式の麺へと転換していくことになった。
「青木さん(食道園の初代)と一緒に在日朝鮮人聯盟の活動をしていたことがあります。昼食の時間に『オレに付いてこい』というので皆、食道園に行き冷麺を食べました。咸興式のかみ切れないほどのかたい麺は今でも忘れられません(笑)。私たちはもう少しやわらかいものをつくろうと研究しました」
無煙ロースターの導入
60年、70年代のホルモン・焼肉店といえば煙がもくもくと立ち、服にも匂いが染み付く覚悟で食べるのが当たり前だった。店では、休憩時間に壁についた油汚れを拭くのが日課で大変な作業だった。
「無煙ロースターが関東で取り入れられているという噂を聞きつけ、群馬の朝鮮飯店や東京渋谷の清江苑に行ってみました。油汚れのない清潔な店内がレストランのようで、目からうろこが落ちましたよ」
1979年11月、新規開店した明月館は思い切って無煙ロースターを取り付けた。しかし開店初日は機械の取り付けミスで肉が思うように焼けず、「焼けないロースターか!」と招待客のブーイングに遭った。急きょ突貫工事がなされ、二日目から無事無煙ロースターが威力を発揮し、ファミリー客で賑わった。焼肉の後の冷麺の売れ行きも上々だった。しかし、麺をこねる仕事は重労働だった。
卞さんは、「これでは、みんな参ってしまう。粉をこねる機械を作りたい」と、機械製作業者とともに試行錯誤を始めた。配合した粉に熱湯をいれ撹拌して…、数十回数百回の試作を繰り返し、これならと思える機械ができた。こねたものを押し出し機で製麺した。
「粉をこねるのは男性の仕事。力が要ります。機械が完成したときは嬉しくて正月に“鏡餅”を備えたくらいです」と笑う。機械を導入したいという「ペコ&ペコ」(1980年代に大々的な冷麺コマーシャルを流し一世を風靡)など、同業他店からの問い合わせにも応じた。
無煙ロースターや麺のねり機ができることで、仕事がとても効率的になった。
祖国の畜産事業にも寄与
祖国の畜産業に貢献しよう、と総聯岩手県本部は80年代2度にわたって朝鮮に畜産用の牛を送っている。卞順漢さんも県下の商工人の一人として牛牧場の運営に貢献した。
「今はこうして事業を興すこともできますが、在日朝鮮人の戦前戦後の歴史を振り返るとき、亡国の民としてどれほど差別を受け悔しい思いをしてきたか。今でもそれを忘れることはありません。牛牧場は祖国の人民生活向上の一助にと同胞と力を合わせてがんばりました」と振り返る。
いま、明月館の現場を仕切るのは娘の崔貞玉さんだ。
卞さんは、「焼肉・冷麺店は生きるために始めましたが、食文化という視点が大切だと思っています。一昨年には『ユッケ事件』もありました。焼肉店を営む人は決して抜きせず、タレ、キムチ、冷麺を作ることにプライドを持ってほしい」と食文化への思いを語った。
(金才順・フードライター)
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