【投稿】「伊藤孝司写真展」で見た平壌/金順伊
2022年12月15日 14:00 寄稿私のオモニは、日本に出稼ぎに来ていたアボジとの結婚のため1937年に玄海灘を渡ってから一度も朝鮮の地を踏むことはなかった。三女、貞順を朝鮮大学校に送る費用のために自宅の敷地内に建てたプレハブの焼肉店でテーブルを拭きながら「今日も暮れゆく異国の丘に」を口ずさんでいたオモニの姿が思い出される。
朝鮮大学校で学んだ私の妹、貞順は3年生を終えた春に単身で帰国した。自分の意志で日本から朝鮮に渡った。
私のオモニは、日本に出稼ぎに来ていたアボジとの結婚のため1937年に玄海灘を渡ってから一度も朝鮮の地を踏むことはなかった。三女、貞順を朝鮮大学校に送る費用のために自宅の敷地内に建てたプレハブの焼肉店でテーブルを拭きながら「今日も暮れゆく異国の丘に」を口ずさんでいたオモニの姿が思い出される。
朝鮮大学校で学んだ私の妹、貞順は3年生を終えた春に単身で帰国した。自分の意志で日本から朝鮮に渡った。