〈歴史の「語り部」を探して〉「軍都」に見る加害の姿/広島編
2022年08月12日 16:07 歴史広島と長崎に米国の原子爆弾が投下されてから77年。戦後から「ヒバク」地として象徴される「ヒロシマ」の姿は世界中の市民らに広く知られている。しかしその裏に隠れる「軍都」としての加害の姿はあまり認知されていない。いまも広島の地に残る遺構から、戦時中に侵略拠点となった広島の実態に迫った。
侵略の象徴
広島駅から路面を走る市内電車に揺られること約15分。「紙屋町西」駅を下車しさらに15分ほど歩くと、石垣でできた外壁とその中心にそびえたつ広島城が見えてくる。観光客はもちろんランニングやゲートボールなどを楽しむ地元民でにぎわう町だ。のどかなこの地はかつて、大本営をはじめ日本の軍事施設が密集した地域だった。大本営とは、侵略戦争中、日本で事実上の最高意思決定機関となった場所。その跡は今でもありありと残っている。
日清戦争のさなかであった1894年9月、日本政府は当初東京に置かれていた大本営を広島に移した。広島には大型船を使用できる宇品港(現・広島港)が位置するため、大陸への進出を目論んでいた当時の日本政府にとって好都合な地域だった。大本営の設置以降、周辺に大量の軍事施設を展開し、広島を「臨時首都」として機能させた。