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【寄稿】第9回ASEMの開催、そして朝鮮・EU対話の意味するもの(下)/高演義

2012年11月29日 10:42 朝鮮半島

朝鮮政策を根底から転換/超大国は必ず滅びる

①6.15宣言が変えた

一方、欧州にとってアジアとの関係深化のメリットは何か。

20世紀末にいたって、相対的に衰えつつあった彼ら欧州の目に隣の大陸の活性化ぶりは、いかにまばゆく映ったことか、想像に難くない。そのうえ、ヨーロッパの産業界や政界の政策立案者らが皆、アジアが自分たちの未来にとって欠くべからざる重要な存在だと認識している以上、アジア欧州関係の緊密化が今後後退するとはとうてい考えられない。今の欧州はすでにして、新帝国主義超大国の米国にぶら下がっていた頃の欧州ではないということだ。

ASEMの第9回首脳会合の会議のもよう(連合ニュース)

東南アジアをハブとして起こったこうした地殻変動の背景として、やはり2000年の南北朝鮮6.15共同宣言の存在が大きい。

朝鮮半島の南北対立状況が久しくヨーロッパ諸国の朝鮮への接近をためらわせてきた事実は否めない。ましてや彼らに朝鮮戦争への加担といった古傷もあるだけになおさらだ。

ところが、6.15宣言が両者の関係史を一挙に変える。

アジア大陸、ひいては世界の平和の実現において最も微妙かつ敏感なイシューだった朝鮮半島に画期的なデタントが訪れたのである。「今、多くの西側資本主義国が次第にわが国に対し、正しい理解をもって良く接しようとしている」とは故金正日総書紀のであるが、まさしくEU諸国はそれまでの手かせ足かせが取れ、を打ったようにDPRKとの国交正常化へと向かう。

21世紀の国際関係は自主、和解、平和、発展と安定の方向へと進んでおり、このような環境は各国に多方面的関係の形成を促している。かつてDPRKとの関係樹立を嫌い、中には敵視までしていた一部EU国家も、ついに対朝鮮認識および政策を改めるに至ったのである。

こうして6.15の翌年の1月17日、欧州議会がEU各国に対朝鮮修好の推進を訴える決議を採択、5月初旬のEU最高位級代表団の平壌訪問、5月14日の両者間の国交樹立、さらに6月13日の初の人権対話の実現へと事態は突き進む。

EUはなぜ、かくまで対朝鮮政策を根底から転換させたのか。

それは一言で言って、自主、平和、親善という朝鮮の対外政策の基本理念への理解・共感に到達したからだ。言うまでもなくこの外交理念は、米国の覇権主義的なそれとは全く異なる、その対極に位置するものである。この反米自主のスタンスにEU側は自らの利害との一致を見出したのであろう。

②チョムスキーの予言

朝鮮・EU関係の発生発展をめぐって、ここでややって考えてみる。

周知のごとく、EUは欧州経済共同体、欧州石炭鋼鉄共同体、欧州原子力共同体を併せ呼ぶ名で、かつては欧州共同体(EC)と呼ばれていた。そんなEUが市場統合など経済の一体化ではかなりの成果を挙げたが、共通外交の面ではぱっとしなかった。そこで冷戦後、一極化反対、多極化模索の道を探りはじめ、こうして、1997年以来毎年、EU・朝鮮間の政治対話が定期的に行われるようになる。

また経済分野でも、欧州を見捨てる米国のグローバル化政策を前にして、EUはしばしば自身の足場を失うことがあった。とりわけ1993年米国での第5回アジア太平洋経済協力(APEC)閣僚会議および首脳会議において、米国がこのうえなくわが物顔で振る舞い、結果欧州の存在感が完璧に消されたという史上初の出来事はEUにとって大きな衝撃だった。

翌1994年、欧州委員会は報告「新アジア戦略のために」において、①アジアへの経済進出、②国際協調と理解を深めアジアの安全に貢献、③アジア貧困地域への支援強化といった方針を呈示した。

従来型の対アジア政策を大転換させたEUは、ARFメンバーになることで米国を出し抜きこの地域の平和構築に相応の立地を占めんとし、またそれと連動してDPRKとの外交接触の幅もぐんと広げることが可能になった。

一方に米国の影を警戒するアジアがあり、他方にアジア大陸に輸出市場を確保しようとするヨーロッパがあって、こうした双方の利害関係の一致がASEMの誕生をしたというのは、おそらく正しいだろう。

2000年10月ソウル開催の第3回首脳会議は印象的だった。同会議は、歴史的6.15南北共同宣言を支持し、アジアも欧州もともにDPRKとの関係改善へ向かおうとの決意表明を行った。これには、「朝鮮半島情勢は世界の平和・安全と密接に結びついている」とのEUの時代認識が強く作用しているのである。日米に比べ、朝鮮半島相手に歴史的に犯した罪がすくなく、さほど手が汚れていないEUはその利点を生かし、やがて、朝鮮半島平和問題という焦点的な国際イシューを自らの対アジア共通外交の中心課題に据えることになる。

現在が米国による資本主義的一体化、グローバル化の時代であるとは、誰もが首肯する定見であろう。そんな時にあって、アフガン戦争、イラク戦争と続く“ガキ大将”ブッシュの火遊びの時代にあえてヨーロッパが示した反戦の態度は、よくよく眺め評価すべきことだと思う。少なくともあの時、「古いヨーロッパ」は野蛮かつ好戦的な「新大陸米国」に異を唱えたのであるから。

以上のように、世界覇権における欧米のせめぎあいの中に朝鮮問題をおいてみるとき、ことのほか明快なる理解が得られるようだ。

今年7月のARFでは、日米の執拗な要請にもかかわらず、議長国カンボジアがあくまで議長声明で「北朝鮮問題」(つまり非難)への言及を拒んだが、このことの意味するところは重い。日米はDPRKを国際から孤立させ、あげくには永久に抹殺せんと図っているが、どっこい、アジア諸国は朝鮮を同じアジアのふところに抱こうとしている。

日米には、このアジアの知恵に対する理解能力が欠けている。

ノーム・チョムスキーは、今後、第三世界の南南協力や中国の隆盛などを背にして、アジアと欧州の独自性がますます高まると予測しながら、米国についてはすでに立派な破綻国家に堕したと指摘している(「破綻するアメリカ、壊れゆく世界」集英社)。

帝国、超大国は必ず滅びる。これはローマ帝国滅亡以来の歴史の法則である。ソ連解体の次はまちがいなく米国の崩壊である。世界の国々は、自身の身の丈にあった、自主的な、ほどほどの国であるべきだ。圧倒的多数を占める世界の中小国がたゆまず交流連帯してこそ、新しい地球社会は可能である。

(朝鮮大学校客員教授)

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