<朝鮮に「核」を持たせたのは米国 ⑤>トップダウンプロセスへの妨害工作
2021年11月15日 07:22 対外・国際千載一遇の非核化チャンスの見逃し
2018年、金正恩委員長の政治的決断と戦略的決定に基づいて、朝鮮は非核化に向けた重要な一歩を踏み出した。トランプ大統領の反応を引き出し、朝米対決史上初となる首脳会談が実現した。しかし、彼がホワイトハウスを去るまでに米国は非核化のための措置をとらなかった。
国家核武力完成と新たな朝米関係
局面転換の起点になったのは、2017年11月29日の「火星-15」型試射の成功だ。米国本土全域を射程内に収める超大型重量級核弾頭装着が可能なICBMが打ち上げられた日、朝鮮政府は声明を発表し、最高指導者である金正恩総書記が「今日、ついに国家核武力完成の歴史的大業、ロケット強国の偉業が実現したと誇りを込めて宣言した」と明かした。
その年の1月1日、金正恩委員長の新年辞でICBM発射実験の準備が最終段階に達したことが表明されると、大統領就任式前に「そんなことは起こらない」とツイートしたトランプ氏は、ホワイトハウスの主となった最初の年、朝鮮にたいする「最大の圧迫」を標榜した。しかし、彼が「炎と怒り」「北朝鮮の完全破壊」「嵐の前の静けさ」などと戦争を既成事実化する狂言を発している間に朝鮮は米国本土に対する核報復能力を備えた。 「戦争が起きても朝鮮半島起きる、死んでもそこで死ぬ」と強弁した大統領は、状況の変化に応じて行動しなければならなくなった。
2018年4月20日、朝鮮労働党第7期第3回総会で、経済・核武力建設並進路線の「偉大な勝利」が宣言された。13年3月に路線が採択されて5年という短期間に目標が達成されたわけだ。総会では、核兵器のない世界の建設に積極的に貢献するという労働党の立場が表明され、核実験とICBM試射の中止に関する決定書が採択された。
総会の決定は、朝鮮の核抑止力が米国の朝鮮敵視と核の脅威に起因する核問題を解決する現実的な力という観点に基づくものだったが、それは朝米対話に臨む大統領の選択と行動の幅を広げるものであった。彼は朝鮮の核実験とICBM試射中止を自らの功績として宣伝することができた。
最初の首脳会談が実現されるまでは、トランプ式トップダウンがある程度、機能した。会談の結果として発表された共同声明に「北朝鮮の完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」というフレーズはなかった。明記されたのは、新たな朝米関係の樹立、朝鮮半島で恒久的で強固な平和体制を構築するための共同努力、朝鮮半島の完全な非核化に向けた努力であった。米国にとって朝鮮との新たな関係確立は、歴代政権下で脈々と受け継がれてきた朝鮮の対する敵視と圧殺策動に終止符を打つことを意味した。
現状維持に固執した勢力
ホワイトハウスの主は、世界が見守る前で歴史的な文書に署名した。 「金正恩・朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長とドナルド・J・トランプ米国大統領のシンガポール首脳会談共同声明」 -そのタイトルにあるように、最初の会談で結ばれたのは、朝米両国が過去から脱し未来へ進むことに対する「首脳間合意」であった。
ところが、米国では大統領と閣僚の言動に齟齬が生じる現象が続いた。
ホワイトハウスの国家安全保障会議メンバーは、そもそも朝米首脳会談開催に否定的な立場をとっていた。国務長官は、首脳の合意がなされた後もCVIDの目標は変わらないとの見解を示し、大統領の政策を支えるべき国家安全保障担当補佐官は「リビア式核放棄」の主張を繰り返した。
シンガポール首脳会談に先立ち、同年4月に板門店で行われた会談で、北南首脳は朝鮮半島にこれから戦争はなく、新たな平和の時代の到来だったことを8千万同胞と世界に向けて宣言したが、朝鮮半島の分断と対決により米国の利益を図る勢力、この国の主流を占める集団は現状維持に固執し、朝鮮敵視政策の転換につながる朝米首脳合意の履行に反対し始めた。
シンガポールの会談から7ヶ月後の2019年2月27、28日、ベトナムの首都ハノイで開かれた第2回首脳会談は、新たな朝米関係樹立に向けた双方の行動計画を議論する場であった。
朝鮮側は段階別・同時行動原則に基づいて非核化措置に関する提案を示した。朝鮮が非核化措置をとるうえで重要なのは、米国の核脅威を減らし無くしていく問題だが、トランプ政権がこの時点で軍事分野の措置をとることは大きな負担になると見て、米国が国連制裁の一部を解除すれば、それを相応の措置として受け入れ、寧辺の核施設を永久かつ完全に廃棄すると提案した。寧辺核施設は、朝鮮の核開発において中心的な施設であり、その永久放棄は、2000年代の6者協議プロセスを含め、過去に一度も出されなかった提案であった。
米国側は「寧辺核施設以外のもう一つ」を廃棄しなければならないと最後まで主張した。 「我々が発見した他の核計画」と持ち出して相手の一方的譲歩を強要する交渉術、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言が出た2002年、「高濃縮ウラン計画(HEUP)」説によって「北朝鮮の約束違反」を既成事実化し、朝米基本合意文を破棄して第2次核危機をつくりだした手法と同じであった。
ハノイ会談が成果なく終了した後、朝鮮外務省の崔善姫次官は記者会見で、「米国は千載一遇のチャンスを逃した」と述べた。
2カ月後、彼女は朝鮮に駐在する大使館関係者たちへのブリーフイングで「トランプ大統領は合意文に『制裁を解除しても朝鮮が核活動を再開した場合、制裁は可逆的である』という内容を含めば合意は可能かもしれないという柔軟性ある立場」であったが、「米国務長官ポンペオと国家安全保障担当補佐官ボルトンは、従来の敵意と不信の感情によって、両首脳の建設的な交渉努力に障害をつくりだした」と暴露した。
そして、朝鮮の最高指導者である金正恩委員長が朝米対話のために「国内の多くの反対と挑戦に対峙してきた」と述べた。
「実際、わが人民、特に人民軍と軍需工業部門は、絶対に核を放棄してはならないと、国務委員長同志に数千通の請願の手紙を上げている…」
「敵視撤回」対「交渉再開」へのテーマ変更
2018年に始まったトップダウンによる対話のプロセスが実りなく中断した原因は米国内部にあった。対話の枠組みは、国家核武力を完成し、新たな朝米関係の樹立を構想した朝鮮側が大統領に対して寛容を示したことで成立した。シンガポール共同声明が履行されず、両国関係がさらに悪化した現実は、首脳間の親交関係がいくら素晴らしくても、ホワイトハウスの主たけの決心だけで米国の朝鮮敵視政策を変えることはできない現実を確認させた。
その経験に基づいて、朝鮮は、ハノイで示した「非核化措置」対「制裁解除」という朝米交渉の基本テーマを「敵視撤回」対「朝米交渉再開」の枠組みに変え、米国からの長期的な脅威を管理、抑制するための力をより強化する方針を決めた。
朝米対話の時限と定められた2019年12月に開かれた朝鮮労働党中央委員会第7期第5回総会では、米国の核脅威を制圧し、朝鮮の長期的な安全性を担保することができる核抑止力の稼働態勢を恒常的に維持するのを確認した。そして核試実験とICBM試射の中止についても「守る相手もいない公約に一方的に縛られる根拠がなくなった」と見解を示し、朝鮮の抑止力強化の幅と深さは「今後、朝鮮に対する米国の立場に基づいて上方修正される」と表明した。
その後も、米国では朝米対話の再開、さらには首脳会談開催の可能性を示唆する言説が流布された。このような「情勢管理のための世論操作」は、トランプ政権の最後まで続いた。
ハノイ会談が合意なく終わり、シンガポール共同声明履行にブレーキがかかったのは朝鮮敵視政策の維持を望む勢力にとって望ましい結果であっても、それによって、朝鮮の核・ミサイルに対する米国の懸念が解消されたわけではなかった。さらに一度中止された核実験とICBM試射が再開されれば、トランプ政権が自画自賛していた外交成果も一瞬にして消え去る。
米国が「朝米対話の必要性」をアピールしなければならない構図は、ホワイトハウスの主が替わった後も続いている。
70年以上にわたり交戦関係にある朝鮮が核報復能力を持ったのに、米国は依然として朝鮮を敵視し危険な軍事的挑発を行っている。対決激化を回避するための朝米対話は、米国が傍観できなくなった「北朝鮮の脅威」がさらに拡大することを防ぎ、この国の為政者が政治的な災難を避けながら安全な時間を稼ぐための唯一の手段となっている。
しかし、米国の政策転換がない限り、朝鮮にとって朝米対話は非実利的であり無益だという結論が、すでに下されている。米国は朝鮮が放棄を求める旧態依然の政策にしがみつくことによって対話の再開を妨げ、結果的に自国の安全保障危機を助長している。
(金志永)