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荒井信一著「コロニアリズムと文化財」を読む

2012年11月14日 10:04 文化・歴史

「植民地は文化ジェノサイド」

「コロニアリズムと文化財―近代日本と朝鮮から考える」。720円+税。

過去の反省を踏まえて目下、掠奪文化財を本国に返還しようという動きや議論が世界中で高まりつつある。日本においても韓国朝鮮文化財返還問題連絡会議が2年前に設置されたが、過去の加害国側でこのような組織が生まれたことは世界的にも稀な例であろう。このような時に、同連絡会議の代表世話人である荒井信一氏が、一般の読者を対象とした新書版である本書を出版されたことはまさにタイムリーであり、この問題が社会全体に知れ渡ることに大きな意味があると思う。本書の内容に関しては本紙をはじめ多くの書評で紹介されているのでそれに譲り、この小文では筆者が読了後に考えたこと、すなわち占領地、植民地における「文化的暴力」とこれに抵抗する民族解放運動と文化との本質的関係について述べてみたい。

三つの暴力の形態

「平和学の父」と呼ばれているヨハン・ガルトゥイングは、暴力の三つの形態として「直接的暴力」、「構造的暴力」と同時に「文化的暴力」をあげている。この三つの暴力は植民地支配下の暴力にそのまま適用することができよう。

ところが、植民地支配の暴力に関するこれまでの研究ではガルトゥイングがいうところの「直接的暴力」、「構造的暴力」に比べると「文化的暴力」、とくに文化財問題は相対的に軽視されてきたきらいがあった。

文化財問題が軽視されてきた背景の一つに、1948年12月に国際連合で採択された「ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)」の定義があると考えられる。「ジェノサイド条約」を起草したレムキンらの草案では、ジェノサイドの三つの類型として「身体的」「生物学的」「文化的」を挙げ、そのうち「文化的」ジェノサイドにあたる行為として集団文化を代表する個人の追放、民族言語使用の禁止、歴史的建造物や文書の破壊など五項目を提示した。この条約草案をめぐって国連で各国の議論が繰り広げられたが、その結果、「文化ジェノサイド」はレムキンやポーランド、パキスタンなどの主張にも関わらず、結局、採択された「ジェノサイド条約」から除外されてしまった。

しかし、「文化ジェノサイド」がジェノサイド条約の定義から除外されたからといって、その概念を問い続ける理由が失われたわけではないのである。フランスのサルトルは「植民地の問題」のなかで「植民地は(中略)必然的に文化ジェノサイドの行為なのです」と述べている。サルトルが指摘したように、占領地・植民地では、「文明化」、「近代化」の名目でそこに住む人々に対して「同化政策」が行われるため、被支配社会の内部に矛盾やアンバランスを生み出し、最終的に民族文化の衰退や破壊を招くことになる。いわば文化的暴力は植民地支配の本質的な側面を最も表出したものだといえるのである(松村由子「『文化ジェノサイド』としての植民地支配」『季刊戦争責任研究』第59号)。

日本外務省は2008年5月までに日韓会談の文書を一部公開したが、その内で非開示や黒塗りの比率が一番高いのは文化財関連だったことが明らかになった。このことにより、副次的な議題と考えられがちな文化財問題が、植民地統治の象徴であり、交渉の機密性が高かったという、その内実が初めて明らかになった。

民族解放運動と文化の本質的関係

高麗美術館(京都市北区)アフリカの革命家で思想家であるアミルカル・カブラルは、民族解放運動と文化の本質的関係について、文化とは人民の物理的、歴史的現実の生き生きとした表明であると定義し、民族解放運動をこの文化の組織された政治的表現であると述べている。カブラルの定義を朝鮮近代史の文脈に置き換えて考えてみることができる。二つの事例を述べてみたい。

①植民地統治時期に亡命地の上海で組織した大韓民国臨時政府の第二代大統領を務め、著名な歴史家でもあった朴殷植は、「韓国痛史」のなかで次のように述べている。

国は滅ぶことがあっても、歴史は滅ぶことはない。おもうに国は形〔形体〕であり歴史は神〔精神〕であるためである。今、韓国の形は毀れてしまったが、神を独存することはできないのか。これが痛史を作った所以である。神が存り滅ばなければ形は復活する時が有るだろう。

朴殷植は、韓国「併合」は国魄(形)の征服を意味したが、国魂(精神)の消滅は意味しない、したがって国魂を維持して強化すれば、国家を復活させることができると考えたのである。彼は国魂の保全のために歴史や文化を最も重視した。

②現在、京都市北区に所在する高麗美術館は、日本各地に散在していた朝鮮の歴史的な民芸品を収集し保存する日本では希な美術館であるが、創設者である故・鄭詔文氏が高麗美術館を設立した動機には、日本社会の差別のなかで、自分たち在日朝鮮人は根なし草だという意識が根強くあり、この意識を乗り越え、朝鮮民族としての誇りを取り戻し、また、お互いの文化を知り合うことで、同時に日本人との対等で友好な関係を再構築したいという痛切な願いがあった。

現在においても「文化的暴力」、「文化ジェノサイド」という概念をめぐって様々な議論が続いているが、植民地支配を受けた過去の歴史を持つ朝鮮、また解放後(戦後)も継続する植民地主義、民族差別のなかで苦悩している在日朝鮮人にとって、日本による文化破壊の記憶と身体破壊は結びついているのである。言い換えれば両者は植民地被支配の過程で起きた連続する事象の異なる局面にすぎないのである。

文化財問題には植民地主義的な心性である、いわゆる「大航海時代」から始まる「文明」と「野蛮」という歴史認識がもっとも深く潜んでいるといえよう。掠奪された文化財の返還問題はこのことがあらためて問われており、500年に及ぶ文明と野蛮を超えて、真の民族の解放、人間の解放に繋がっているということが示されているのではないだろうか。

(康成銀 朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長)

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