60周年迎えた中国延辺朝鮮族自治州を訪れて
2012年10月19日 15:04 文化・歴史無数の人々の想い語り継いで
9月1日から7日にかけて、かつて「満州」といわれた中国東北部を旅した。天恵のようなきっかけは、9月3日に創立60周年を迎える延辺の朝鮮民族自治州へという戸田郁子さんからの誘いであった。彼女は家族で移り住んだ中国での日々を「中国朝鮮族を生きるー満州の記憶」(岩波書店)として上梓したエキスパートである。同行の士は、同郷の詩人、槇村浩を表彰する高知の平和資料館「草の家」のメンバー。1912年生まれの槇村浩は、日本人でありながら朝鮮人の視点で抗日闘争を長編詩「間島パルチザンの歌」で謳い上げた、反骨の詩人である。
平和のもろさ実感
延辺から日本に戻って間もなく、新聞・テレビが尖閣諸島をめぐって中国で先鋭化していた反日デモが、長春・瀋陽にも飛び火したことを報じた。今回の旅は数日遅ければ、実現しなかった。私たちが長春を散歩中に、日本語で話しかけてきた人懐っこい女子大生や、交流会をもった延辺大学の学生たちは、どう考えているだろうか。平和のもろさを、実感せざるをえなかった。
延辺では、街の看板は朝鮮語と漢字の併記が義務づけられている。そして「満州」は「偽満州」と表記される。歴史的建造物は残され、苦い歴史を繰り返さぬための近代史教育は若い世代へ丁寧に行われている。それを見て日本は「反日教育だ」と過反応するが、ドイツの姿勢と比較すれば、決して反省しようとしない日本国のかたくなさこそ不思議である。
今回のツアーが物見遊山の一般的なものにならなかった多幸には、「草の家」の人たちの存在が大きい。日本人はほとんど訪れないという抗日パルチザンの活動戦跡地や豆満江の両岸が朝鮮と中国の国境を分かつ図們、今は博物館となっている傀儡・満州国の皇帝とされた愛親覚羅溥儀が暮らした長春の官邸、リゾート地を思わせるような風景の中の詩人・尹東柱の生家、そして民族の聖地、白頭山。メンバーの中に中国・朝鮮生まれという人が幾人かいて、私にも植民地に暮らしを設計した父母の選択への贖罪を口にした。「草の家」の人びととは、平和への希求を共有できる心温まる旅となったが、しかしこれは稀なことであって、日本ではことに昨今の政治家など、負の遺産を直視できない人が多すぎる。
朝・中・露が出会い、豪快に騎馬が行き来した高句麗の「朱蒙(チュモン)」の時代を想起させるようなこの地域は、多くの朝鮮人にとっては逃避の地であったが、海に囲まれた島国を脱してやってきた帝国主義者の野心にとっては、軍靴で蹂躙し収奪するになんの枷とてない、血湧き肉踊る無法の自由地帯であったろう。しかし所詮は侵略である。
抗日闘争に命を賭けたパルチザンたちが闘った密林はすっかり伐採されて、いまは見晴るかすばかりの一面のトウモロコシの畑になっている。案内してくれた中国共産党地方組織の働き手である金先生は、ここで闘ったあまたの将軍たちの中でも、「やはり金日成将軍は、一頭、他を抜く抜群の存在でした」と、私に教えてくれた。
朝鮮族の比率は39%
緊張をもって訪れた朝・中国境の図們の街では、人々が豆満江のほとりで音楽や将棋をのんびり愉しみ、堤防に唐辛子が干されたのどかな風情に拍子抜けした。朝鮮族のツアー・ガイドである朴嬢が子どもの頃は川を越えて行き来し、記念日には北の子どもたちを招待して一緒に遊ぶこともあったという。彼女は日本への留学時代に在日朝鮮人の処遇を知って、気の毒に思ったという。「日本政府は愚かですね。差別して逆に国の中に憎しみや怨念を育てているようなもので、日本のためにもならない。私たちには中国政府の優遇があるので、ずっと幸せです」と言い切った。
戸田さんによると、10年前の自治州創立50周年には街中が祝いの熱気で沸き立っていたのに比べ、今年の祝賀ムードは驚くほど希薄化し縮小しているという。街並みは整備され、いたるところに60周年を祝う横断幕や標語があったが、街で朝鮮語はあまり通じなかった。中国の50余りの少数民族の中でも朝鮮族の学歴の高さは抜きん出ており、優秀な人材ほど流出するという事情から、自治州における朝鮮族の比率は39%にまで落ち込んでいるという。
豆満江の遊覧船にも、尹東柱の生家跡にも、思いがけなく登山が叶った長白山(白頭山)にも、韓国からの観光客が溢れていた。朝鮮民族の境遇はなんといろいろなのだろう。
その大地に累々たる屍を擁しながら、あれもこれをも飲み込んで悠々と流れてきた中国のエネルギーは、数え切れないほどの命の犠牲と、一方では同じ人間でありながら、人の命を虫ほどにも感じずに踏み潰し、何代にも渡って栄華をむさぼって呵責のない側も、同じ人間種であることを思い起こさせた。どちらの要素も私にはある。しかし少なくとも私は、生きている限り歴史の中で沈黙させられたままの、無数の人びとの想いを語り継がないではいられない側の一人である。
(朴才暎 エッセイスト、写真も)