仲尾宏さんが講演「雨森芳洲の多文化共生論」
2012年10月03日 14:42 歴史違い認め、真実で交わる「誠心」を/朝鮮通信使から学ぶ外交の原点
仲尾宏・京都造形芸術大学客員教授による講演会「雨森芳洲の多文化共生論」(主催=金剛山歌劇団滋賀公演実行委員会)が9月21日、滋賀県大津市の滋賀県教育会館で行われ、同胞、日本市民など約40人が参加した。
講演会に先立ち、同実行委員の一人、滋賀県議の沢田たか子さんがあいさつに立った。
沢田さんは、独島、尖閣諸島などの領土問題における日本のあり方が問われる今、日本国憲法の精神にそって、過去の歴史をもう一度振り返り、見直す必要があると強調した。そして、「江戸時代の朝鮮通信使が日本に伝えた幅広い学問、知識、文化の足跡を仲尾先生の講演を通じて今一度学びたい」と話した。
講演で仲尾さんはまず、人権問題、とりわけ、外国人との共生の問題などさまざな方面で取り上げられている「多文化共生論」を、今から300年以上前に説き、それを外交の場で実践し見事に成し遂げた、江戸時代中期の代表的儒者・雨森芳洲(あめのもりほうしゅう、1668-1755)について話した。
雨森芳洲は、思想家であり、教育者でもあった。18歳で江戸に出て、朱子学者・木下順庵のもとで学んだ。その後、貿易における朝鮮と日本の中継ぎの役割を担っていた対馬の江戸屋敷に22歳で仕官。1693年、対馬に赴任。「朝鮮語を勉強しなければ朝鮮の人の本当の気持ちはわからない」と1703年に2度釜山へ行き、朝鮮語を学び、習得した。日本に12回招かれた朝鮮通信使の第8次の来日である1711年、第9次の1719年の2回に渡って、対馬藩の藩士として朝鮮通信使の真文役として送り迎えを担った。1728年、芳洲が61歳のとき、対馬藩主に対し、朝鮮との外交関係のあり方を提案したものをまとめた著書「交隣提醒」を出版した。
仲尾さんは、雨森芳洲が書いた書や碑、朝鮮通信使を描いた図、通信使が通ったという朝鮮人街道や海岸、通信使が泊まったされる寺、一行が食べたものを再現した料理などの写真をスライドで流しながら、当時の雰囲気を伝えた。
そして、「交隣提醒」の一部分を抜粋し、解説を加えながら次のように述べた。
「対馬藩の朝鮮に対する外交のあり方が書かれた同書には、『朝鮮と交際するには、彼らの物の考え方、国の体制をまず知ることが大事』であり、『他国の嗜好、風俗、礼儀作法を日本の基準で考えては間違いが生じる』という箇所がある。自国の風習やしきたりを判断の基準にするべきでないという芳洲の提案をまず紹介したい。
また、『日本の酒が朝鮮、中国の酒と比べても一番うまいというふうに日本人は錯覚し、朝鮮人もそうだと思っているに違いないと誤解している。朝鮮人と宴会をする時も、日本酒こそ一番優れた酒だと思って振舞うが、日本人の口には日本酒があうし、朝鮮人の口には朝鮮の酒が口に合う、中国人には紹興酒、オランダ人は阿剌吉(あらき)ちんたが合うのは当たり前だ。酒と料理も、朝鮮の料理には朝鮮の酒が合う。それを、日本酒が一番の酒だというのはとんでもない』と芳洲は強調している。ここに民族、文化の違いを認め合う、芳洲の『多文化共生論』が表れている」
当時、朝鮮通信使は京都を通って江戸に行く。そして帰りは秀吉が建立した京都の大仏に立ち寄るということがならわしになっていた。しかし、1719年、通信使一行第9次の来日の復路で、「壬辰倭乱を起こした張本人である豊臣秀吉が作った大仏の前で宴会をするなどとは何事か。朝鮮人のことをわかってないではないか」と激怒したという。
大仏や観光ルートに入っていた耳塚も、朝鮮人にとっては秀吉の凶悪な侵略戦争を想起させるもの。芳洲は、「これからの通信使は、京都の大仏に立ち寄ることをやめたらどうか」「お金をたくさんつぎ込んで無益の大仏を作るというのは、これまた朝鮮人にとって嘲りの対象」であり「日本人の無学を表すだけではないか」と提案している。
「『交隣提醒』で力説する『誠実と申し候は実意と申す事にて、互に欺かず争はず、真実を以て交り候』。お互いに欺き、嘘をつき、争ったりしてはいけない。真実をもとめて交わること。これが誠心である」。これぞいわゆる芳洲の「誠心外交」であったと仲尾さんは強調した。
講演後、「外交の原点とも言える芳洲の誠心外交と照らし合わせてみた現在の日本の外交を、どのように捉えているか」という会場からの質問に対し仲尾さんは、「外交とは非常に難しいもので、お互いにわかっていても言わないでおくという駆け引きが必要。それができる政治家は優れた手腕の持ち主だ。しかし、独島、魚釣島問題などで、政府がこれまで棚上げしてきた方針を変えて、『国有化』を打ち出したことには異論がある。それは『誠心』に背いている」と答えた。
同講演会は、11月2日、滋賀県立芸術劇場で行われる金剛山歌劇団公演のプレイベントとして行われた。
(尹梨奈)