〈在日発、地球行・第2弾 12〉癒えぬ戦争の爪痕/ラオス
2019年07月02日 08:40 在日発、地球行不発弾と暮らす人々
ラオス北部の町ポーンサワンにやってきた。家々を囲む柵やレストランの店先を飾るオブジェ、はたまた鮮やかな花を咲かす植木鉢まで、生活のいたるところにクラスター爆弾の大きな弾体が活用されている。クラスター爆弾とは一つの親爆弾から数百個の子爆弾が飛び散る無差別殺戮兵器である。普段は目にすることがない代物が、なぜこれほどにも多く存在するのか。その疑問に答えてくれる場所が町中にあった。
「シークレット・ウォー」
メインストリートに面するMAG(Mines Advisory Group) UXO(unexploded ordnance=不発弾)ビジターインフォメーションセンター。英国の地雷除去団体MAGが運営しているこの施設では、展示物を通じてラオスの歴史に刻まれた凄惨な出来事が語られていた。
ベトナム戦争中の1964年から1973年の間、ベトナムの隣国ラオスは中立国であるにもかかわらずアメリカによる執拗な空爆に晒された。爆撃は、北ベトナムの拠点であったシェンクワン県(県庁所在地がポーンサワン)や軍需物資の補給路、いわゆるホーチミンルートを狙ったものだった。
爆撃の回数は計58万回、落とされた爆弾の量は200万トン以上。8分に1回空爆が行われ、1人当たり1トンの爆弾が落とされたことになる。このような事実に関する国際社会の認知度は低い。なぜなら国際法に違反する「中立国への空爆」行為を、米国がひた隠しにしてきたからだ。米軍による対ラオス作戦が「シークレット・ウォー」(秘密の戦争)と呼ばれるゆえんである。
戦争から40年以上経つ現在も、ラオスには戦争の深い爪痕が残されている。国土の3分の1以上を汚染している不発弾によって多くの民間人が犠牲になっているのだ。死傷者数はこれまでに計5万人にも及ぶ。
中でもクラスター爆弾から飛び散った子爆弾、別名「ボンビー」による被害が最も多い。テニスボールほどの大きさのボンビーは、興味本位で子どもたちが拾ったり、地中に埋まっていることを知らずに農夫が鍬で叩いたり、料理のために起こした火の熱が地中に伝わると、炸裂。中に仕組まれた数百個の金属片が人の身体や建物を貫き、破壊する。
痛ましい被害の数々に胸を詰まらせながらインフォメーションセンターを見て回っていると、MAGを支援する団体のロゴが目に入ってきた。その中に加害国である米国の国旗があった。
16年9月、現役米国大統領として初めてラオスを訪れたオバマ大統領は不発弾処理のために向こう3年間で約9000万ドルを拠出するとした。しかし、それは一時的な支援の表明に過ぎず、根本的な問題解決のためにはすべきことが山のように残されている。
「米国の援助はまだまだ不十分。そもそもインフォメーションセンターを訪れる米国人の多くが戦争被害の実態を知らないんだ」
受付にいたMAGのスタッフ、マイ・へーさん(34)は、そう言ってため息をもらした。彼の義理の兄もまた、不発弾被害者の1人であった。
「やめるわけにはいかない」
ポーンサワン中心部から北東へ約1.5㎞行くと、ラオス政府による不発弾処理機関「UXOラオ」の事務所がある。そこで思いがけず、JMAS(日本地雷処理を支援する会)で活動する日本人男性(60代)に出会った。偶然にも、彼は東京・王子の高校を卒業していたため、近くに位置する東京朝高の存在をよく知っていた。
「朝高VS帝京のケンカをしょっちゅう目にしていたよ。いつかは十条駅で何十人もの学生が集まり、電車が止まるくらい激しい乱闘を繰り広げていた」。ある意味、戦場である。
彼の協力をもらい、不発弾処理チームの総責任者であるブアリン・ソリンパンさん(53)に話を聞いてみた。不発弾によって家族や親戚、村の人々を失ったブアリンさんは、96年のUXOラオ創設を機に決意を固め、母の反対を押し切って処理活動を始めたという。
「初めの頃はもちろん怖かった。常に危険がともなう仕事だからね。これまで2人の同僚を失った。だけど自分の国に不発弾が残っている限り、活動をやめるわけにはいかない」
ラオス17県のうち9県に事務所を置くUXOラオは現地調査や処理活動のほか、不発弾に関する子どもたちの認識を深めるため啓蒙活動を行っている。地道な活動の結果、死傷者の数は年々減っているが、不発弾処理はいまだ国内全体の1%ほどしか進んでいない状況だ。ラオス全土が安全化されるには200年以上もの時間を要するという試算もある。
事務所ではキンフェット・ピンマーホン所長(57)に笑顔で迎えられ、一日の作業を終えたスタッフたちとの宴にも加わることができた。
「カンパイ、イッキ!」。JMASの日本人男性が教えた乾杯のコールが何度も起こり、一本、また一本とビール瓶が空になっていく。自称「共産主義者」の所長はベトナム戦争時のつらい体験を口にしながらも、当時朝鮮が北ベトナムを支援したことについて触れながら「今でも朝鮮を信じている」と言って「カンパイ、イッキ!」を叫んだ
煽りを受けた筆者はコップに注がれたビールを思い切って流し込んだ。そればかりか、「明日は一緒に不発弾処理の現場に向かおう」との所長の提案も、勢いのまま飲み込んでしまった。
(李永徳)
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