【西日本豪雨】助け合いで一つに/対策委が義援金を伝達
2018年10月23日 16:53 暮らし・活動 民族教育被害から4カ月、各地から届いた思い
7月初めの西日本豪雨により、岡山県に住む同胞らは大きな被害を受けた。人命被害はなかったものの、同胞家屋や店舗が被害を受け、倉敷市真備町に住んでいる同胞らの中には家屋が「全壊」するなどの被害があった。
総聯岡山県本部では豪雨が発生した直後の7月9日に「岡山同胞災害対策委員会」を立ち上げ、順次支援活動を始めた。
特に町が大規模に浸水した倉敷市真備町の被害は大きく、対策委ではまず同地域に住む同胞らの安否を確認した後、被災地の同胞宅を訪ね復旧作業を始めた。11日には総聯活動家らが倉敷市真備町の被災同胞宅を訪問、復旧作業を行い、14日から16日にかけては、総聯活動家や非専従の同胞らによる支援隊、延べ72人が同胞家屋で集中的な復旧作業を行った。復旧作業に参加した支援隊のメンバーたちは、酷暑などで2次被害も懸念される中、懸命にがれきの撤去などの復旧作業を行った。
被災同胞らの支援に全力をあげる一方で、対策委は同地域で被災した日本市民らを支援するための活動も精力的に行った。
倉敷地域同胞生活相談総合センターでは、西日本豪雨の影響により毎年7月末に行われている納涼祭を中止。代わりに7月28日、約200人が避難生活を送る倉敷市真備町の二万小学校で炊き出しをふるまった。当日にはおよそ30人の岡山県の同胞や大学生らが集まり、200食のクッパと大根キムチを配った。被災者らは感謝の気持ちを示していたという。
このような直接的な支援活動が続けられる中、対策委には現場に向かうことのできない日本各地の同胞から「被災者らのために何かできることがないか」と問い合わせが続いていた。
各地から寄せられた募金
対策委はそれらの思いを一つにするため、対策委発足直後から設置していた支援募金についてチラシなどの様々な方法で訴え、支援を呼びかけ続けた。それを知った日本各地の同胞たちから続々と募金が寄せられ、当初の想定を大きく超える金額が集められた。募金活動は9月末まで続けられた。その結果、県内外の個人、団体からのべ300万円以上が集められた。
義援金は9月末から10月にかけ、家屋や店舗が「全壊」「半壊」するなどした同胞たちに手渡された。義援金を受け取った同胞らは、総聯中央から伝達された義援金も含め、災害直後から続く支援活動に「こんなにしてもらってもいいのか」と驚きと感謝を示していたという。
また岡山初中で行われた公開授業(10月20日)では、同校の金太宇校長に義援金が手渡された。
岡山初中では西日本豪雨の影響により、校舎の一部の雨漏りが悪化し、教育活動に深刻な影響が発生していた。今回の義援金は、特に大きな影響を受けていた幼稚班園舎と、コンピューターなどが設置された情報教育室の改修工事に充てられる。工事期間は10月22日から3週間。その間の保育活動は校内に設置されたプレハブで行われる。
義援金を受け取った金校長は「日本各地の同胞らの思いがつまった義援金」と謝意を表しながら、「子どもたちの教育環境改善のために使いたい」と話した。
義援金の伝達によって、対策委による支援活動は一つのくぎりを迎えることになった。しかし倉敷市真備町に在住していた同胞の中には、まだ浸水した家屋の復旧が済んでおらず、自宅を離れて県外に身を寄せている被災者もいる。総聯岡山県本部はそのような同胞に対する支援も含め、被災同胞らの要求を見極めながら、必要な支援を継続させる予定だ。
対策委は岡山初中の公開授業の場で、11月8日に岡山市民会館(岡山市)で行われる金剛山歌劇団公演に倉敷市真備町の被災者らを招待することを発表した。公演観賞の送迎のため、観光バスが手配される予定だという。被災者支援の活動の一環であり、このような活動を今後も続けていきたいとしている。
呉信浩委員長は一連の支援活動を振り返り「対策委として迅速な支援を心がけて活動を行ってきたが、災害直後からこれだけ早く、多くの人が支援活動に参加してくれると思っていなかった。多くの同胞が助け合いの精神で一つになった。感動を覚えた」と語りながら「これからも行政への対応や被災者らの心のケアなども含め、同胞らの要求に沿った支援活動を続けていきたい」としている。
(金孝俊)