歴史の虚偽を正す、新たな出発/済州島4.3事件70周年の集い
2018年04月24日 09:23 歴史“記憶の復活であり、記憶の勝利”
「済州島四・三事件70周年記念 眠らざる南の島」(主催=済州島四・三事件を考える会・東京、曺東鉉代表)が21日、東京・北区の北とぴあで開催され、約1300人が参加した。
オープニングでは、ソプラノ声楽家の千恵Lee Sadayamaさんが「常緑樹」を披露。金剛山歌劇団の宋栄淑さん(功勲俳優)と金英蘭舞踊研究所による追悼の舞「四・三の風」が舞台に上がった。
第1部に先立ち、参加者らは、済州4.3事件の犠牲者を悼み、黙とうをささげた。
南では、済州4.3事件70周年を迎える中、4月3日に済州平和公園で行われた済州4.3犠牲者追悼式に文在寅大統領が参席。「4.3の真実はどんな勢力も否定できない、明白な歴史の事実として位置付けられたことを宣言する」と真相究明への意志を示すなど、国家レベルでの4.3事件真相究明の動きが加速している。
集いには、済州4.3平和財団、済州4.3事件犠牲者遺族会をはじめとする南の関係者らも済州島から来日し、席を共にした。済州4.3平和財団の梁祚勲理事長は、済州4.3事件における国家暴力について謝罪し、犠牲者の名誉回復や賠償・補償等に政府が積極的に乗り出すと表明した文在寅大統領の姿勢を評価。4月27日の北南首脳会談が迫る中、「南北和解の雰囲気の中で、済州4.3は再評価され、さらにその価値を高めることだろう」と期待を寄せた。
続いて、済州4.3事件犠牲者遺族会のキム・ワングン副会長が、梁閠京会長のメッセージを代読した。キム副会長は「済州4.3事件は、祖国の自主独立と分断克服に向けた済州島民の力強い時の声であり、不義に抵抗した民衆の熱い行動であった」とし、「済州4.3事件を歴史に正しく位置づけ、済州島に悲劇をもたらした米国の絶対的な責任を明らかにしていかなければならない」と強調した。
4.3事件の実像
第1部では、「済州島4.3抗争の正義を語ろう―なぜに人々は立ち上がったのか」と題して、作家・金石範氏と立命館大学の文京洙特任教授による講演会が行われた。
文京洙特任教授は、まず4.3事件の概要について説明。4.3事件における抗争は▼売国的単独選挙と単独政府樹立に反対し、祖国の独立・統一と完全な民族解放を求める武装蜂起であり、▼骨髄に染みた怨恨を解き放つためのものであったと指摘した。
また、40年近く沈黙を強いられてきた4.3事件が、87年の民主化以降、遺族や研究者、市民団体、文化人の手で公的な真相究明運動へと転換し、2000年の「済州四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」の制定や、それに基づき2003年に確定した李承晩政権と米国の責任について記した真相調査報告書、同年10月の故盧武鉉元大統領による済州4.3事件の公式謝罪へと繋がった経緯について言及した。
一方で、文教授は現在の「4.3事件解決における限界」について指摘。「2万5千人から3万人に及ぶとされる犠牲者は、▼抗争指導部▼植民地権力(軍・警察・右翼)▼衝突の犠牲になった多数の島民の3つに分類できるが、唯一、抗争指導部のみが犠牲者として認定されない状況がある」とし、抗争指導部を含めたすべての犠牲者の名誉回復を行う必要性を強調。「南北和解が進む情勢下で、犠牲者を左右のイデオロギーで区分することは、南北和解の精神に反する」と指摘した。
金石範氏は、現在、雑誌「世界」に連載中の自身の小説「海の底から」の一部を引用し、4.3事件の実像について語った。
「一年余の米軍指揮下の討伐機関、第二次大戦後最初のジェノサイドが世界から閉ざされた密島で二十数万中、三万以上の人間に対して行われた。乳呑み児までパルゲンイ(アカ)として、妊娠中の女性の腹を割いてアカの種を“滅種(ミョルジョン)”させる、ガス室や爆撃で短時間に殺すのではない、俎板(まないた)の鮮魚や肉を切り刻むように、生きた人間の肉と心を、軀(からだ)、存在を巨大な俎板で乱刀(ナンド)し、乱切りにする殺戮。アカ抹殺、民主主義擁護の大義名分を掲げて個々人の心身を細分化しての大量虐殺…」
金石範氏は、上記の文章を引用し、済州4.3事件における大量虐殺は、精神の虐殺であり、そのトラウマは70年を経てもなお、残存するものだと指摘。
また、数十年間もの間、歴史から抹殺されていた「4.3の記憶の復活」についても言及した。
金石範氏は「記憶が抹殺されたところに歴史はない。歴史がないところに人間の存在はない」としながら、4.3事件は「一つは強大な権力による記憶の他殺、もう一つは恐怖におびえた島の人たちが自ら記憶を忘却の中へほうり込んで殺した記憶の自殺であった」と指摘。「4.3問題の正しい解決は、公権力による再評価と合わせて、真相究明、名誉回復などの事業によってさらに大きな歩みを踏み出し始めた。半世紀がたった今、亡くなった人が蘇ることはないが、限りなく死に近く深い忘却の中に凍り付いていた記憶が地上に上がって日の光をあびるようになった」とし、これは「永遠に抹殺することができなかった記憶の復活であり、記憶の勝利だ」と述べた。
一方で金石範氏は、自身も足を運んだ済州4.3犠牲者追悼式で行われた文在寅大統領の演説についても言及。「李承晩や米帝という内外の侵略者に対する防御闘争であった4.3事件に正しい名前をつけてこそ、4.3事件が韓国近現代史の歴史の事実として記憶される。4.3の真実を明白な歴史の事実として位置付けるとした大統領の宣言は、大韓民国の虚偽の歴史が正され、新たに出発するということを意味している」と歓迎した。
「4月のつばき」
第2部では、南のシンガーソングライター、アン・チファン氏のコンサートが開催された。
南の民主化闘争に共感し、「荒野で(광야에서)」「私がもしも(내가 만일)」など人々の記憶に残る名曲を生み出してきたアン氏は、この日、済州4.3事件を象徴する「眠らざる南の島(잠들지 않는 남도)」に続き、同じく済州4.3事件の痛みを謳った新曲「4月のつばき(4월 동백)」を披露し、満員の客席の喝采を浴びた。
集会後、4.3事件の集いに初めて参加したという金山美ゆきさん(68)は「消されようとしていた歴史を受けつごうという市民の取り組みと情熱に感銘を受けた」とし、「アンさんの魂をふるわせるような素晴らしい歌声に感動した」と感想を語った。同じく初めての参加だという琴雅代さん(68)は「日本でも、歴史の隠蔽が進む中、韓国でも同じような動きがあったことを今回初めて知った」と話し、「済州島4.3事件を思う人々の悲しみが、アンさんの音楽を通して伝わってきた」と語った。
(金宥羅)