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歪んだ朝鮮認識、その底に歴史の偽造・改ざんの遺産/歴史家・中塚明氏の講演(要旨)

2018年03月27日 10:28 文化・歴史

1894年7月23日の早朝、日本軍が日清戦争の直前、侵入した景福宮迎秋門

東アジアで唯一の近代的軍事力を持つ国として、対外侵略戦争を引き起こし、「植民地帝国の骨格を作ったのが明治」であった。天皇制政府は成立以降、北海道を国内植民地のようにして土着のアイヌ人の民族的権利をとりあげ、また、琉球王国を滅ぼして、日本に統合、台湾にも出兵したが、神権天皇制の対外膨張の最大の標的は隣国、朝鮮だった。

吉田松陰の教えを受けた長州藩の武士で、明治新政府の首脳の一人となった木戸孝允(きどたかよし)は、さっそく、1868(明治元)年12月14日(旧暦)政府最高幹部の岩倉具視(いわくらともみ)に「すみやかに国の方針をしっかりさだめ、使節を朝鮮につかわし、彼の『無礼』を問い、かれもし不服のときは罪をいいたてその国土を攻撃し、大いに『神州日本』の威勢を伸ばすことを願う」(「木戸孝允日記」)と書き送っている。つまり、明治新政府に対する朝鮮の反応が「無礼」であるかどうか何もわからないときにすでに新政府の最高幹部が朝鮮攻撃を基本方針としていたことをこの日記は示している。

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