〈本の紹介〉「コロニアリズムと文化財-近代日本と朝鮮から考える」 / 荒井信一著
2012年08月13日 13:49 歴史文化財返還こそが平和への近道
この新書を読みはじめて、直ぐに頭に浮かんだのは、若いときに読んだ五木寛之氏の短編小説「深夜美術館」(1981年作)であった。銀座でバー勤めをするヒロインが、朝鮮から持ち去られた美術品を奪い返すことに命をかけた亡き夫(在日朝鮮人)の遺志を継いだものの最後は「闇の力」に葬られるという、胸に迫るストーリーだったと記憶している。
それからしばらく後に、五木氏は考古学者の大塚初重氏との対談で、「そのときの文化財(伊藤博文などが朝鮮から奪った-引用者)が、戦後日本のあちこちの博物館に存在していた。そのことを、私は『深夜美術館という小説に書いたんです。ところが、その小説が発表された翌月からあちこちの記念館の庭から、全部消えましたね。石灯籠とかいろんなものが」と語っている。(「弱者の生き方」徳間文庫 2007年)
本書は前半の部分で、日本が江華島事件(1875年9月)のときに朝鮮王朝の文庫(外奎章閣)から貴重図書を盗んで最初の「分捕り品」とし、その後の朝鮮鉄道敷設、「朝鮮総督府」による「学術調査」等、朝鮮植民地支配のための全過程で手当たりしだいに文化財の略奪と破壊を行った事実を明らかにしている。
日本が朝鮮から略奪した文化財の数について2010年1月、「韓国国立文化財研究所」は6万1,409点にのぼると発表した。なお、在日朝鮮文化財問題を研究する尚美学園大学の林容子教授によれば、「個人コレクターの所蔵品」だけでもじつに30万点近くになるという。
しかし、朝鮮文化財の返還は今日までほとんど行われず、「善意の第3者」が所蔵する(?)「朝鮮のお宝」は人気テレビ番組の「開運!なんでも鑑定団」にも全く出てこない。
本書を途中まで読んだとき、1995年7月26日に判明した北海道大学での「古川講堂『旧標本庫』人骨問題」を思い起こした。それは1906(明治39)年に全羅南道の珍島に赴いた農業技師、佐藤政次郎が、晒し首にされた「東学の乱」の指導者の髑髏(どくろ)を「採集」したものだった。
筆者は、朝鮮に渡った日本人の異常な欲望、蒐集(略奪)熱について、「日本人の民族性の問題でなく、植民地支配者としてのある種の開放感と関連する」と指摘しているが、その「開放感」が「優越感」を助長し、想像を絶する文化財略奪や反人倫的な残虐行為を引き起こした事実を、今まさに正視すべきであろう。
本書は後半の部分で、戦後の新興国による文化財返還の世界的な動き、コロニアリズム(植民地主義)清算の一環としての文化財問題を整理している。
この本が生まれる契機になったのは、筆者が2011年4月27日に貴重図書に関する「韓・日図書協定」の審議に際し、衆議院外務委員会で行った参考人発言である。このとき筆者は、「朝鮮総督府」が行った日本の宮内庁への「朝鮮王室儀軌の寄贈」(1922年)は「三・一独立運動で動揺した植民地統治、植民地支配の立て直しを図った内鮮融和政策、内地と朝鮮、植民地朝鮮を融和する一環として行われたものでありますから、その返還は、植民地支配の清算に通じるものとして、韓国との和解と友好関係を一層増進させることになります」と述べ、さらに、「朝鮮半島の北、北朝鮮」にたいしても日本は同様に対処すべきであると述べた。
こうして昨年12月、「朝鮮王室儀軌」は89年ぶりに「五台山史庫」(江原道平昌郡・月精寺)に返納された。そのときの菅首相談話は、極めて曖昧な「お渡しする」という表現だった。さすがに、「韓国外交部の翻訳語」は「お渡し」ではなく「返還」だった。
結局、著者の国会参考人発言、折角のアドバイスは生かされなかったのである。
今回の本書の出版に、あらためて文化財返還を拒む者たちへの著者の深い憤りと、植民地主義清算の一環としての文化財返還こそが平和への近道であるという筆者の強い信念を感じるものである。
今年の9月に朝・日平壌宣言10周年を迎える。本書の主題が「文化財そのものの歴史ではなく、文化財問題を引き起こした植民地的な状況、植民地主義の構造」であるとした、著者の意図を汲んで本書を是非通読していただきたい。
(金明守 在日本朝鮮商工連合会副理事長)