〈朝鮮民族の美 32〉百済の山水文塼(7世紀前半・百済)
2012年08月03日 14:25 歴史1937年春、扶余の窺岩面の百済寺院趾で150余個の文様が発掘された。いずれも百済後期のすばらしい文様(=宮殿や寺院の壁を飾る紋様のあるタイル)で、蓮華文や渦雲文、鬼形文や・竜文などの秀作の他に、珍しくあくまで百済的な山水画の傑作というべき山水文、鳳凰山景文が出現して関係一同が驚きの嘆声を上げた。
図に示す山水文の下部は、流れる小川がデフォルメされており、その上部には切り立つ岩や絶壁、そして後景には秀麗な山々が並び立ち、松林が茂る。
まさに格調の高い、簡素で温雅な雰囲気をたたえた百済美術の精髄を現す傑作といえよう。さらに中央の山頂に立つ怪鳥は、鳳凰であろうか。その鶏冠と両翼は、周囲の千変万化する「気」のエネルギーと一体化して、すでに雲文(大気のエネルギーを象徴する朝鮮独特の印)となり、画面上半部の大宇宙の「気(雲文)」と共に湧き立っている。これこそ百済の美術に脈々と流れる百済人の創造的な生命観なのである。このように見る時、百済人の美観と生命観は、高句麗人のそれと深い血脈で結ばれてることを感じざるをえない(壁画古墳参照)。わずか縦横29cmの粘土で作られたではあるが、一つの山水と大空を現わす一枚のの示す内容は豊富で、今後とも我々の究明を待っている。
(金哲央)