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〈読書エッセー〉晴講雨読・哲学を平易に語る二冊/任正爀

2026年04月12日 10:46 寄稿

朝鮮大学校の入学式は毎年4月10日に行われる。その日は創立記念日で、今年は70周年である。民族教育の最高学府として数多くの卒業生を輩出してきたが、なかには日本の大学の学長を務めたりノーベル賞受賞者の弟子となった者もいる。

筆者もかけがえのない学生時代を送ったが、その時に読書の習慣を身につけ哲学や文学をはじめ様々な分野の本を読破し、それがこの「晴講雨読」の連載にも繋がっている。

さて、哲学という言葉は、「智を愛する」を意味するフィロソフィーを、日本に西洋学術が導入される頃に啓蒙思想家である西周(ルビ:にしあまね)が訳したもので、「知識」「概念」「意識」などもかれによる訳語である。哲とは「道理に明るく、知恵がある」ことを意味する漢字で、「哲学」はそれなりに考えられた訳語であるが、その語感からちょっと敷居が高いと思う人も少なくないだろう。逆に、それ故に哲学を理解したいと思う人もいるに違いない。実は学生時代の筆者がそうで、当時、広く読まれていたのが高橋庄治『ものの見方考え方』である。

『ものの見方考え方』

著者は以前に出版した『人民の哲学』で「哲学とは、ものの見方、考え方、変え方である」と主張したが、その本が広く読まれてそれが定着したという。筆者も学生たちに「哲学とはものの見方考え方」と強調するのだが、その本から始まることを改めて知った。

『ものの見方考え方』は、1952~74年に刊行された『人生手帖』という雑誌に連載したものに加筆して、1960年に文理書院から出版されたものである。

今般初めて知ったのだが、1950年代に勤労学生や集団就職者を主な読者とし、彼ら自身も寄稿した「人生雑誌」と呼ばれたものがあったという。

家計の事情で高校への進学がかなわず、10代半ばで家を離れ実社会に出なければならなかった働く青年たちの無念や悲しみに寄り添ったのが人生雑誌で、「生き方」「読書」「社会批判」を主題とする。その代表格が『人生手帖』である。その読者を中心に各地域で「緑の会」という文化サークルが組織されるが、『ものの見方考え方』はそのサークルで青年たちに向かって話しかけるように書かれている。

「観念と存在」「人間と人間」「唯物論と観念論」「主体と環境」「理論と実践」の全5章から構成されているが、それぞれが「○○と○○」となっている。それは、二つの考え方を対決させ、それを統一させることによって、人間の精神、心の進歩になっていくという著者の意図による。

とくに、力を入れているのが本書のために加筆した「唯物論と観念論」で、哲学の歴史は両者の対決の歴史ともいわれる。ここで著者は、唯物論とは観念論とは何かを説明するのではなく、どのように考えるのが唯物論であり観念論なのかと説いている。例えば普通の人が勇んで戦争に出向いたのはどのような観念論的思考によるものかを説明し、その弊害を指摘する。

本稿を書くにあたり再読したが、入門書として優れた本だなと改めて感心するとともに、この本は働く青年たちへの「人生論」に他ならないとことに気がついた。朝大生がこの本を愛読したのも、哲学の諸概念を学ぶこと以上にその人生論によるものかもしれない。ただし、当時は労働運動が盛んで社会主義への志向も強く、今から見れば楽観的な所も多く古いことは否めない。

『新哲学入門』

次に強く印象に残っているは1992年に仮設社から出版された板倉聖宜『新哲学入門』で、こちらは大学教員となってから読んだ。著者は科学史研究者として知られる人物で数多くの著者があるが、なかには『ハングルを創った国王・世宗大王の生涯』という朝鮮に関するものもある。その経験を活かして「仮説実験授業」という独自の教授法を提唱、最初は理科に関すものであったが、今では社会や歴史に関しても応用され、日本で広く浸透している。

そんな著者による入門書であり注目したが、期待通りのユニークな内容であった。「科学と哲学と学問と」「真理は実験によってのみその正しさが証明される」「真理がなかなか勝利しないことがあるのは何故か」「弁証法的に考えるということ」「矛盾は実在するか」「『心の持ちよう』と現実」の全6話21章から構成され、従来の哲学的議論における疑問点を提示し、自身の見解を明らかにしている。とくに、弁証法と矛盾に関する記述は斬新である。

著者は「実験の本質は、自然であれ社会であれ、対象に対する正しい認識を得るために、対象に対して、予想・仮説をもって目的意識的に問いかけることにある」とし、真理の基準は実験にあると強く主張する。この立場から弁証法の命題についても、実験による検証がなければ真理ではなく、「弁証法というのは科学ではなく、ことわざのようなものだと言ったほうがいい」とする。ただし、それは弁証法を軽視するのではなく、その訳を述べながら弁証法の有効性を分かりやすく説明している。

また、「矛盾の本質はもともと人間の論理にかかわるもの」として、自然や社会のなかの矛盾とされる事柄についての見解も興味深い。副題に「楽しく生きるための考え方」とあるが、それは最終話「『心の持ちよう』と現実」で語られる「人生論」によるところが大きい。

実際、著者は題名に「新」とあるのもそれを意識してのことと述べている。ただ、社会への行動を説く『ものの見方考え方』の人生論に対して、そこで語られる人生論は少し甘いかなというのが古い世代の筆者の正直な感想である。

学生時代、朝鮮ではマルクス・レーニン主義哲学からチュチェ哲学への移行期で、それに関する講義を受け討論を行った。それが今の自分にどのように活きているのかはわからないが、少なくとも「政治において自主、経済において自立、国防において自衛」を掲げ、世界各国が米国の顔色を覗うなかでも毅然とした態度をとる朝鮮への基本理解につながっていることは間違いない。

(朝大理工学部講師)