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〈長生炭鉱水没事故〉葬儀後に遺族が帰国、活動への意向伝える/市民団体が遺骨収容を続ける理由

2026年02月15日 10:05 歴史 社会

6日、収容された遺骨を前に、手を合わせる井上洋子代表

山口県宇部市・床波海岸沖の旧長生炭鉱で今月7日、遺骨収容のための潜水調査に参加していた台湾出身のダイバー、魏修(ウェイ・スー)さん(57)が死亡した。これを受け、調査を行っていた地元市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、刻む会)の井上洋子代表が13日、コメントを発表した。

井上代表は、「台湾ダイバー、ウェイ・スー(ビクター)さん ご遺族の思いと、この間の報告」(刻む会ウェブサイトより)と題する文書で、事故後の経過を説明。8日と9日に遺族らが来日し遺体と面会したこと、10日に司法解剖が行われ、11日には遺族やダイバー、刻む会のメンバーらが参列して葬儀が営まれたことを報告した。13日には、故人の遺骨とともに遺族らが帰国したという。

3日の潜水調査に先立ち、報道陣を前に話すダイバーたち(写真中央がウェイ・スーさん)

公開された文書で、井上代表は、故人が「より多くの方々の力になりたい」という強い思いから今回の遺骨収容プロジェクトに参加したと、遺族から伝えられたことを明らかにした。また、「故人の遺志を尊重しつつ、活動が安全に、そして適切な形で続けられることを望まれている」とし、事故の事実を正確に伝えた上で活動を継続してほしいとの遺族の思いも明かした。

一方、今後の活動については「とどまることなく歩み続けることができるよう努めたい」としながらも、具体的な方針への言及は避けた。7日の事故を受け、刻む会は現在活動を休止している。

“誰かの父、息子、家族だった”/生き埋めの遺骨、84年目に

山口県宇部市・床波海岸沖にある旧長生炭鉱での水没事故が、今から84年前に発生した。事故発生当時、坑内では、現在の朝鮮北部・平安道から南部の慶尚道まで朝鮮半島全域から強制連行された朝鮮人労働者136人をはじめとする183人の坑夫たちが作業をしていた。地元・宇部の歴史がまとめられた「宇部市史」(1993)には、このような記載がある。

「長生炭鉱は特に坑道が浅く、危険な海底炭鉱として知られ、日本人坑夫から恐れられていたため、朝鮮人坑夫が投入されることになった模様であり、その当時『朝鮮炭鉱』と蔑称されていた」

朝鮮が日本の植民地だった1939年に、在日朝鮮人の統制と抑圧を目的に創られた「中央協和会」編纂の『移入朝鮮人労務者状況調』によれば、同年から41年までの3年間、実際に炭鉱へと連行された朝鮮人の数は1258人とされる。炭鉱地で有名だった山口県のなかでも、その危険性から、ずば抜けて朝鮮人労働者の数が多かったのが長生炭鉱であった。

水没事故は、炭鉱の海底に延びたおよそ1キロメートル沖の坑道で、天盤(頭上にある岩盤(天井))が崩壊し海水が侵入したため起きたとされる。1942年当時は、日本が侵略戦争を展開した太平洋戦争の開戦から2ヵ月の頃で、特に事故当日・2月3日は、軍需物資である石炭の増産目標が特別に高く掲げられた「大出し日」だった。そうした中、長生炭鉱では当時の法律で禁止されていた浅い層を発掘。これは国の補償が求められる「人災事故」である。

癒えない恨をかかえた犠牲者と遺族が置き去りにされている。この状況そして歴史に、まっすぐに向き合わなくてはならない―。刻む会の関係者たちが、前身団体の頃から共通認識としてきた、遺骨収容を続ける何よりの理由だ。

「犠牲者一人ひとりは、誰かの父であり、誰かの息子であり、かけがえのない家族でした。その犠牲は単なる過去の悲劇ではなく、今を生きる私たちに、人権と尊厳、そして未来志向の平和の価値を問いかける、歴史的教訓です」

水没事故から84年を迎え、7日の追悼集会でチェサをあげる遺族たち。

水没事故から84年を迎え、2月7日に行われた犠牲者追悼集会の場で、韓国遺族会の楊玄会長はそう話した。そして「(長生炭鉱での)犠牲は、必ず記憶されなければならない歴史的真実」だと述べながら、亡くなったことさえ確認の取れていない犠牲者たちが「これ以上忘れられた存在ではなく、歴史の中に堂々と刻まれるその日まで、遺族会は歩みを止めることはありません」と、他でもない日本政府による真相糾明を強く訴えた。

2月3日から7日までに行われた遺骨収容のための潜水調査では、昨年8月に続き、人骨が収容された。収容された遺骨は、今回も地元の宇部署に保管されるとのことだが、その後の日程は不透明。首脳会談で高らかと宣言されたDNA鑑定も、いつ行われるのか決まってさえいない。

国が犯した明白な人災に対し、日本政府は一体どのように責任をとるつもりなのか―。強制労働の象徴ともいえる長生炭鉱の犠牲者たちは、いまも海底に生き埋めにされている。

(文・韓賢珠、写真・盧琴順)