日本社会で排外主義を断ち切るために/人権協会がシンポジウム開催
2025年12月11日 14:50 社会
人権協会が主催するシンポジウム「継続する排外主義を断ち切るためにー在日朝鮮人の権利闘争史に学ぶー」に100余人が参加した。
在日本朝鮮人人権協会が主催する祖国解放80周年・総聯結成70周年記念シンポジウム「継続する排外主義を断ち切るためにー在日朝鮮人の権利闘争史に学ぶー」が7日、文京区民センターで行われた。総聯中央権利福祉局の任京河局長、人権協会の金舜植会長をはじめとする会員、総聯活動家、学生、日本市民ら100余人が参加した。
実行委員会を代表して人権協会副会長である李春熙弁護士がシンポジウムの趣旨説明を行った。
李弁護士は、在日朝鮮人は祖国の解放後、解放国民としての権利を保障されなければならなかったにもかかわらず、冷戦構造のもと日本における治安政策の矛先として差別と弾圧、攻撃の対象になってきたと指摘。そのような苦しく厳しい無権利状態の中でも先代たちは、在日朝鮮人の権利獲得闘争を繰り広げてきたと述べた。本シンポジウムでは、日本の継続する排外主義について考えるとともに、日本政府に対峙し、権利を獲得してきた在日朝鮮人の歴史に学ぶ趣旨が話された。

「記者として経験した1960-70年代の権利闘争」をテーマとする対談の様子
「記者として経験した1960-70年代の権利闘争」をテーマとする第1部では、朝鮮新報社の記者として当時の権利闘争を取材した在日朝鮮人2世の姜惠眞さん(人権協会顧問)が、鄭栄桓さん(明治学院大学教員・人権協会常任理事)の質問に、答える形で対談した。
姜顧問は、60年代は在日朝鮮人社会にとって暗く厳しい時代だったと指摘。韓日条約の法的地位協定により国籍選択権を侵害され、東京中高の生徒に対する暴力事件や同胞金融機関である同和信用組合に対するガサ入れなど、総聯の関連機関に対する攻撃が日々繰り広げられたと述べた。

朝鮮新報社の記者として1960、70年代の権利闘争を取材した姜惠眞顧問が朝鮮新報社の記者として取材した1960、70年代の権利闘争について述べた
また、外国人学校法案反対運動(67年)については、植民地下で民族の放棄を迫られた1世にとって、ウリハッキョを守ることは自分自身のみならず、子、孫を守り、生きるための活動だったと述べた。また、決して絶えなかった闘争の熱気、厳しい闘いの中でも和やかだった同胞たちの交流について生き生きと語った。
最後に姜顧問は、60、70年代の権利闘争を通じて、日本当局に与えられた権利は一つもなく、自らの力で勝ち取らないといけないという理念と精神、団結と秩序を兼ね備え、日本の法律に抵触せず粘り強く闘い、日本の各界各層の支持を受けることができる運動の方法論が確立され、特別永住資格にもつながる在日朝鮮人の人権と生活権の拡大を成し遂げたと締めくくった。

「排外主義と『同化』に立ち向かうためにー運動の“これから”を探る」と題するパネルディスカッションが行われた
第2部では、指宿昭一弁護士、裵明玉弁護士、姜惠眞顧問をパネリストとして、瀬戸徐映里奈さん(近畿大学教員)と河潤美弁護士をコーディネーターとして、「排外主義と『同化』に立ち向かうためにー運動の“これから”を探る」と題するパネルディスカッションが行われた。在日朝鮮人や外国人に対する排除、差別の根源には清算されていない植民地主義があることが指摘され、問題に連帯して取り組む必要性が語られた。
シンポジウムの最後に、公人による民族的出自への攻撃を訴えた李香代さんの裁判、日司連による「朝鮮学校報告削除」問題、川口のクルド人に対するヘイト裁判についての報告、大阪人権協会、人権協会の性差別撤廃部会による活動報告が行われた。
一橋大学院で在日朝鮮人女性史を研究する李未蘭さん(27、人権協会会員)は、昨今、日本での排外主義的な風潮に危機を感じる中で、在日朝鮮人の闘争史に学ぶ趣旨に賛同し本会場を訪れた。自身の故郷も済州島だという李さんは「済州島出身の親を持つ姜さんの家族史は自分の家族史とも共通する点があり無縁ではないと感じた」としながら、「日本社会の差別構造には『植民地主義の継続』という本質があり、その本質について日本社会の構成員に知ってほしい。簡単ではないが、ただの差別反対を乗り越える必要があると感じた」と語った。
(許侑琳)