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〈記者らが記した歴史の瞬間④〉同胞メディアの役目果たす/震災の現場で

2025年11月04日 12:00 歴史

阪神淡路大震災の被害を伝える朝鮮新報日本語版

地震が頻発する日本列島の上で紡がれた同胞社会の歴史には大震災というページが記録されている。本紙の記者たちは被災地に赴き、現地の声を日本各地に伝え、同胞社会一丸となった助け合いを呼びかけた。

1995年1月17日早朝、淡路島北部を震源とするM7・3の地震が阪神地域を襲い、死者6434人(同胞125人含む)、行方不明者3人、負傷者43792人という甚大な被害をもたらした。

本紙の記者団は、17日夜に大阪から車で出発し、18日朝、総聯兵庫県本部に到着。以降、現地の総聯本部、支部、朝鮮学校を回りながら被害のようすを写真と共に伝えた。

被害状況を初めて掲載した1月20日付には社説「熱い同胞愛で救援事業を」を掲載し、被災地支援の世論を喚起した。

避難生活を送る同胞たちのニュースに接した各地の同胞たちは支援物資を次々と送り続けた。本紙では、それらの支援を力に変え、組織の再建や学校の再開に向けて動き出す同胞たちの姿を、連日報道した。被災地での取材は、みずからも被災しながら協力してくれた現地の総聯活動家の存在があってこそ実現したものだった。

1月21日付掲載の記事には当時の様子が克明に記されている。

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