朝鮮新報と私・上
2025年10月28日 09:00 寄稿朝鮮新報創刊80周年に際し、「朝鮮新報と私」をテーマとする投稿が寄せられた。日本語版の投稿を3回に分けて紹介する。
全哲先生のような漫画を描きたい
私は、朝鮮大学校で在日同胞2世漫画家の全哲先生の漫画について研究した。全哲先生は長年イプニなどの四コマ漫画を連載し、同胞たちに愛された方だ。
研究過程で、全哲先生と日本の漫画家との交流を証明する貴重な資料を見つけた。

【図1】手塚治虫がイプニの単行本にかいた「イプニ大好きです」という推薦書き
手塚治虫がイプニの単行本にかいた「イプニ大好きです」という推薦書きを発見した時の感激と胸の高鳴りを今でも忘れられない【図1】。
それだけではない。朝鮮新報社が1961年から発刊していた朝鮮時報には手塚治虫のみならず、赤塚不二夫、藤子不二雄、石森章太郎、やなせたかし、ちばてつや等々、著名な作家たちのエッセイやイラストが掲載されている。

【図2】手塚治虫の記事「私は広く呼びかけたい~在日朝鮮人の民族教育を日本人の手で守ろう」
手塚治虫は「私は広く呼びかけたい~在日朝鮮人の民族教育を日本人の手で守ろう」の記事で、朝鮮は日本の軍国主義の犠牲者であり、そのことについて日本人として恥ずかしさと申し訳なさを感じると述べ、日本人の手で民族教育を守っていかなければならないと強く主張している【図2】。
たかが漫画と思う人が多いかもしれない。されど漫画である。
全哲先生の漫画にはとても素朴で平凡な日常が描かれている。だが、その日常の中に宿っている同胞たちの力強い精神はコマの中にとどまらず、たくさんの人々に在日朝鮮人運動を誇示するものになった。
私も全哲先生のような漫画を描きたい。その一心で教員生活の傍ら漫画を描いている。民族教育や同胞社会のあたたかさと力強さを映しだす漫画でありたい。
(金知世、大阪中高教員)
紙面で学美の審査結果を確認
20年以上も前の、私が中高生だった頃の話。
当時美術部員だった私は、毎年行われる在日朝鮮学生美術展(以下、学美)に応募するために夏休み中絵を描いていた。今も昔も美術部にとっての学美は、学生中央体育大会や芸術コンクールに匹敵するほどの青春を飾るものだった。
当時学美の審査結果は、9月頃の朝鮮新報の一つの面を使って大々的に発表されていた。
私は9月になるとそわそわと新報をくまなく読み、審査結果のページを探していた。
小さな文字でずらりと並ぶ、金銀銅の文字。そこで評された自分の名前は、とても神々しいものに感じた。
現在私は評する立場、すなわち美術の先生になり、学美の審査結果を発表する立場になった。発表を聞き、一喜一憂する学生たちを過去の自分に重ね、なんとも言えない愛おしい気持ちになる。結果を聞いた学生の気持ちを受け入れるまでが美術教員の役目。かつて朝鮮新報の1ページのように、慎重に丁寧に愛情深く、その発表をしたいと思う。
(R.U・美術講師)
作文1等と新報配達の思い出
朝鮮新報の思い出は2つあります。
初級部3年の時に作文コンクール「コッソンイ」で1等になり、私の顔写真とコメントが紹介され、遠方に住む親戚から連絡がありました。
その時、子どもながらに新報は全国版で凄いと実感しました。
もう一つは1990年代に専従活動家として支部で新報を配達していたことです。
今は週3回発行ですが、当時の新報は毎日あり、暑い日も寒い日も雨の日もカッパを着て自転車で配達しました。
正直大変でしたが、新報を待っている同胞がたくさんいましたし、配達中に激励してくれたり差し入れをくれたり、同胞愛を実感しました。
同胞たちに愛される朝鮮新報をこれからも愛読したいと思います。
(申順伊・東京都在住)