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朝鮮半島記述すり替えに問題提起/KUCKS歴史講座、李義則さんが講演

2025年10月21日 16:06 歴史

李義則さんが「弥生人のルーツを探る」と題して講演した。

朝鮮大学校朝鮮問題研究センターが主催するKUCKS歴史講座「弥生人のルーツを探る」が11日、同校講堂で行われ、175人が参加した。

2022年4月に開設されたKUCKS歴史講座は、古代以来の朝鮮半島と日本列島との文化交流の歴史から、現在の朝・日関係を考えるきっかけを作りたいという趣旨のもと行われてきた。これまでに延べ2300人が受講し、今回で15回目を迎えた。

今回の講師は、市民研究家として九州北部と朝鮮半島南部に散在する遺跡を巡ってきた李義則さん。李さんは自身が直接訪れた轟遺跡(熊本県)、曽畑貝塚遺跡(同)、菜畑遺跡(佐賀県)、江辻遺跡(福岡県)、板付遺跡(同)、新町遺跡(同)、土井ケ浜遺跡(山口県)、壱岐島・原の辻遺跡(長崎県)での経験を話しながら、出土した遺構・遺物を手がかりに縄文時代から弥生時代に存在した日本と朝鮮半島の人びととの交流などについて語った。

李さんははじめに、高松塚古墳(奈良県)が1972年に発見された時から朝鮮半島との関連性を持つ古代史に興味を持つようになり、さまざまな博物館や歴史資料館をめぐったと述懐。その過程で、縄文弥生時代の遺物に関する説明から朝鮮半島から伝わったにもかかわらず、朝鮮半島という記述が消え、「中国・大陸」や「大陸」という表現、ただの経由地として「朝鮮半島を経て」という表現が使われることに問題意識を持つようになったと述べた。

例を挙げると、板付遺跡弥生館で配っている資料では、稲作が「海を渡って」「大陸や半島」から来たと伝えられている。これに対して李さんは、「どの半島か示しもせず、朝鮮半島を表して『半島』と使ったのなら、その言葉は日帝植民地から続く蔑視語であり、偏見を生む」と指摘した。

また、壱岐島では、邪馬台国や卑弥呼の存在が記されている歴史書「魏志倭人伝」に倣い、紀元前3世紀以降のものが、国指定史跡に定められている。しかし、この地域には渡来人の船着き場など、さらに古く学術的・歴史的価値の高い遺構がある。それにもかかわらず、「魏志倭人伝」に特化することによって集客効果を狙い、歴史的価値が矮小化されていると警鐘を鳴らした。

李さんは、縄文時代、弥生時代という時代区分の限界性について指摘する学者もいるとしながら、日本列島の実際の歴史を知るためには、紀元前10世紀半ばから紀元前3世紀までの歴史を詳細に研究する必要性を強調した。

李義則さんが「弥生人のルーツを探る」と題して講演した。

李さんは質疑応答で、各遺跡で配られるパンフレットや冊子に「中国・大陸」と表記する意図について自身の考えを問われ、「慣用句としての『中国・大陸』『朝鮮半島を経て』には、朝鮮を無視した弥生時代を演出し、『朝鮮半島』を隠ぺいする意図が、集約されている」と語った。

古代史に興味があり、栃木から訪れた河上信行さん(67)は、講演で縄文人と渡来人が生業の違いは、衝突を避けさせ、互いを受け入れることにつながったと話されたことに触れ「今の社会で違いがあっても良いところを尊重し、共存する重要性を示唆するものがある」と述べた。

朝大を初めて訪れた菅野富美子さん(83)は、朝鮮学校に補助金が出ていないことに申し訳なさを感じているとし、何らかの形で関わるという実践として本講座に参加。「日本のマスコミからは知りえない朝鮮の魅力を感じることができた。近い国だからこそ知ることが大切だ。来てよかった」と語った。

講座の前日には、李義則さんの著書「弥生人のルーツを探る:九州北部と朝鮮半島南部を歩いて」(三一書房)が出版された。講座当日には会場でも同著が販売された。

三一書房の担当編集者である高秀美さんは、「4~5年前から企画して出版に至った。弥生時代の朝鮮の人びとが日本列島に及ぼした役割を矮小化するため『朝鮮半島』表記を『中国・大陸』にすり替えて表記されているという視点は、他の人にはない視点だ。遺跡を直接訪れて、見聞きしたありのままを記した李さんに敬意を表したい」と述べた。

(許侑琳)

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