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〈GANEFOに刻まれた輝き・下〉朝鮮の躍進、今日に再び/大会の終焉と理念の継承

2025年10月17日 06:00 スポーツ

1963年11月、インドネシア・ジャカルタで開かれた「新興勢力競技大会(GANEFO)」51カ国参加)は、脱植民地化の潮流の中で生まれた自主の舞台だった。朝鮮選手団はこの大会で52個のメダルを獲得、世界新記録位を樹立し、世界の注目を浴びた。成功を収めた大会は第2回開催へと動き出す。連載(下)は、イタリアの歴史家マルコ・バゴッツィ氏の寄稿に基づき、GANEFOのその後の歩みをたどる。

IOC体制への挑戦と結束

GANEFOの開催に対して、国際オリンピック委員会(IOC)の各国際競技連盟は参加選手の「規律違反」を批判。国際陸上競技連盟(IAAF)と国際水泳連盟(FINA)などは該当選手たちに厳しい出場停止処分を科し、東京オリンピックから除外した。インドネシアはこれに抗議して東京五輪をボイコットし、朝鮮も日本に到着後、シン・クムダン選手らの出場停止通告を受け、全面撤退を決断。朝鮮オリンピック委員会のホン・ミョンフィ委員長は「この措置は新興勢力に対する帝国主義者の敵対政策を示すもの」と非難した。事実、GANEFOの動きはIOCにとって危機感を呼び起こすものだった。

1966年のアジアGANEFOに参加した朝鮮代表団

第1回大会の成功を受け、GANEFOは新興諸国の連帯を背景に勢いを増す。

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