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〈特集・ウリハッキョの今〉京都第2初級/インタビュー・姜明世さん

2025年10月07日 09:00 民族教育

同胞の“故郷”を守る

姜明世さん

父は若い頃、友禅染職人だった。その経験を活かし水洗蒸工場の同胞たちの苦労を軽減しようと父が作った機械がヒットしたが、家庭は決して裕福ではなかった。その機械を安価で売っていたからだ。

姜さんは経済的にかなり苦しい家庭の事情で日本の学校に通った。日本の学校で過ごした幼少期は「あまりいい思い出がない」と言う。「学校の給食費もろくに払えなかった。教師たちは戦争帰りの人たちだったので朝鮮人と知るや復讐されるかのように怒られた。小学生の頃から『ここではない』という違和感を覚えていた」(姜さん)

その後、同志社大学に入り留学同と出会い、そこで朝鮮奨学会の支援を受けた。京都・桂にあった留学同の寄宿舎で朝鮮語を学び、卒業後に留学同の専従活動家に。「弁護士になりたかったが、当時は在日朝鮮人にその資格がなかった。抗議のために何度も法務省に足を運んだ」。

2年目の年に病気を患い、活動家としての一線から退いた後、32歳で不動産開発業で独立。京都第2初級を財政面で支援しながら子どもたちと孫を通わせた。

学生時代の苦い思い出があるからこそ、朝鮮学校への思いは人一倍強い。

姜さんは「私たちはどこにいてもチョソンサラム(朝鮮人)だ。ウリハッキョは在日朝鮮人の故郷のようなものであり、同胞社会の大切な拠点。この地域の同胞たちが集まる唯一の場所を守り抜かなければならない」と語った。

(80、不動産業)

 

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