公式アカウント

〈70年の自負、100年への自信⑧〉朝大から世界へ!

2025年08月07日 09:00 寄稿

スポーツ部門の現在地と未来

朝鮮大学校は2026年に創立70周年を迎えます。当欄では、大学が歩んできた道のりや現在の教育内容、活躍している卒業生、70周年に向けた取り組みなどを多角的に紹介します。執筆は朝大の教員、関係者が担当します。(月1回掲載)

無敵のサッカー部

朝鮮大学校創立から数年後、1960年のサッカー部(初代監督:金世炯氏)を皮切りに各種スポーツクラブが続々と創部された。

サッカー部は、公式戦に参加できず活躍の舞台が親善試合に限られていた当時から、日本の大学チームと交流を深め、定期戦を行う関係を築いてきた。65年に始まった立命館大学および日本大学との定期戦は、朝・日の学生が切磋琢磨する場として半世紀を超えた現在でも回を重ね続けている。67年には100連勝という記録を達成し「無敵の朝大サッカー部」としてその名を轟かせた。70年代から90年代にかけてサッカー、ラグビー、ボクシング、空手、柔道、バレー、バスケ、器械体操、野球、テコンドー、卓球、芸術体操、テニス、陸上と13競技のスポーツクラブが活動。スポーツを通した学生たちの人間的成長の場へと発展していった。

全8クラブ学連加盟

2000年代に入り、朝大スポーツクラブの公式戦参加が認められるようになる。

ボクシング部の関東2部昇格(05年)、サッカー部の関東リーグ昇格(07年)、空手部の関東1部昇格(08年)と、大学スポーツ界において着々と存在感を高めてきた。20余人の部員で関東リーグ2部を戦うラグビー部、着実に力を蓄え関東3部で戦うことになった女子バレー部、そして25年にはバスケットボール部が男女共に関東3部への昇格を果たした。

関東大学リーグ2部で戦う朝大ラグビー部(昨年12月)

25年現在は8つのクラブが全て学連に加盟し、大学リーグ戦に参加している。

他大学に比べて部員数や環境面で劣っても、先輩たちが築き上げた伝統とプライドを胸に学生たちは今日も朝大で汗を流している。毎年繰り返される昇格・残留をかけた公式戦では、真剣勝負に挑む選手に教職員、学生、卒業生、保護者が一丸となって熱い声援を送っている。このような過程で各クラブのOB・OG会、後援会活動も活発になり、体育館の建設(1990年)に続いてグラウンドの人工芝化(2006年、22年)など環境整備も進んでいる。

プロ選手の輩出

朝大卒業後にプロスポーツ界で活躍する選手たちも増えている。

2010年に李冽理選手(体育学部3期卒)がボクシングWBA世界スーパーバンタム級王者になると、史上初の朝大卒の世界王者誕生に同胞社会が沸いた。

ラグビーの金秀隆選手(体育学部19期卒)はプロ入団(当時:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)直後から大活躍し、リーグワンの新人王に輝いた。

22年にはバスケ部の李洸勝選手(政経学部64期卒、金沢武士団)が朝大卒初のBリーグ入りを果たした。

とりわけ、サッカー部のプロ選手輩出実績は関係者の注目を集めている。毎年1〜2人がコンスタントにJリーグに入団している実績は、「朝大経由プロスポーツ界入り」という同胞社会の夢がすでに現実となっていることを示す象徴といえよう。日本にとどまらずアジアやヨーロッパのプロチームで活躍する選手も増えつつあり、朝大サッカー部は大学サッカー界でも確固たる地位を築いている。

また、近年はラグビーや空手、テコンドーでも現役朝大生が国際舞台に立ち注目を集めている。

朝鮮代表として活躍

2024年3月21日、サッカーW杯アジア2次予選のピッチに文仁柱選手(体育学部20期卒)が立った。

3千人の同胞応援団は、祖国の選手たちと共にプレーする文選手に大きな声援を送った。

44年ぶりの本大会出場となった2010年の南アフリカワールドカップには鄭大世選手(体育学部4期卒)が出場し、世界的な話題となった。

東アジア選手権で2大会連続の銀メダルを獲得した鄭世梨選手(右)と宋修日・体育学部長(今年4月)

「朝大からの国家代表への道」も朝大スポーツの可能性を示す重要な実績となっている。

1980年代に朝大卒業後、在日朝鮮蹴球団と朝鮮代表でプレーした金光浩氏(文学部19期卒)、90年代に蹴球団から朝鮮代表、ジュビロ磐田でプレーし、引退後はJリーグの監督(現在はカマタマーレ讃岐)を務める金鐘成氏(歴史地理学部29期卒)は、朝鮮ナショナルチームのコーチとしても活躍し、そのレベルの高さを内外に知らしめた。

近年では空手の鄭世梨選手(体育学部23期卒)が、朝鮮代表として出場した東アジア選手権で2年連続の銀メダル(2024、25)を獲得。23年には史上初の水泳代表選手として李慧京選手(現在・経営学部3年)がアジア競技大会に出場した。

来年には名古屋で第20回アジア競技大会が開催される。朝大創立70周年を迎える節目の年に日本で行われるアジア大会。朝大生・卒業生の活躍を期待したい。

(宋修日・体育学部長、スポーツクラブ統括部長)

「PRIDE of KOREA」を背負って/プロサッカー選手・文仁柱さん

朝鮮代表として国立競技場のピッチに立った文仁柱さん(右、24年3月21日)

昨年3月、サッカーW杯アジア2次予選に朝鮮代表として国立競技場のピッチに立った文仁柱さん(J3・FC岐阜)は振り返る。

「朝鮮代表としてプレーしたことは忘れられません。同胞たちの大歓声を受け、背負っているものの重み、誇りが一気に押し寄せました。自分ひとりの力ではなく、支えてくれた家族、指導者、朝大でともに戦った仲間たちへの感謝を胸に、一秒一秒を全力で戦いました」

強豪として名を馳せた時代から今日まで、朝大サッカー部は、「PRIDE of KOREA」をスローガンに掲げ、どんな相手にも怯まず、自分たちのサッカーを貫く姿勢、勝利にこだわる執念で戦う伝統を受け継いでいる。文選手の原点は、「夢を持ち続けること、諦めないこと」。たとえ日本の学校に比べて環境は整っていなくとも、仲間たちで支え合い士気を高め合った。

「プロの世界は甘くなく厳しいですが、夢をあきらめず挑戦し続けたい。後輩たちも失敗を恐れず挑戦してほしい。自分が結果を出すことで、後進たちに『自分たちもできる』と思ってもらえれば」

朝大サッカー部で得た財産と誇りを胸に、後輩たち、子どもたちのために戦い続ける責任感、使命感が、文選手を今日も挑戦へと駆り立てている。

「同胞たちの声援は本当に僕の力。民族の魂をもって戦う姿をお見せできるよう、全力を尽くします」。文選手の意気込みは、そのまま70年を迎える、そして100年を目指す、朝大の「PRIDE of KOREA」そのものだ。(英)

Facebook にシェア
LINEで送る