〈留学同便り・大阪〉朝・日の友好を考えるスタディツアーin岸和田
2025年08月25日 13:10 暮らし・活動朝鮮人女工の犠牲の上に発展した町
留学同大阪が主催する「朝鮮と日本の友好を考えるスタディツアーin岸和田」が6月14日、在日朝鮮人学生と日本人学生、韓国人留学生、活動家ら計8人が参加のもと行われた。
留学同大阪は、2023年度から対外活動の一環としてスタディツアーを企画している。日本の学生たちとともにフィールドワークを通じて近現代史を学び、朝鮮と日本の友好関係を築く上での課題を考えることを大事にしている。
今回はコリアNGOセンターの金和子さんを講師に招き、「朝鮮人女工」をキーワードに大阪・岸和田に赴き、寺田紡績、岸和田朝鮮人小学校跡、城南住宅跡、岸和田紡績本社跡などを巡った。
岸和田といえばだんじり祭りが有名だが、実は朝鮮人女性たちの労働力が安く買い叩かれて発展した町である。その一役を担った寺田財閥は、電力や鉄道などの事業を展開し、岸和田紡績株式会社を設立した。
第一次世界大戦による日本の労働力不足と朝鮮の植民地化を背景に、済州島や慶尚南道出身の若い朝鮮人女性たちが募集人の甘言を頼りに渡阪し、岸和田紡績で働くこととなった。しかし、労働生活実態は24時間稼働の工場で12時間労働を強いられたり、不衛生な寄宿舎で二人一組になって同じ布団を使用するなど、非人道的なものだった。そのような環境下で赤痢やチフスなどの伝染病に罹り命を落とす朝鮮人女性も少なくなかった。
朝鮮以外にも沖縄や被差別部落からやって来た女性も少なくなかった。民族差別・性差別による賃金格差や「相愛会」による給料天引き、逃亡防止のための管理体制など人間として扱われる環境は何ひとつ存在しなかった。
さらに世界恐慌により給与が大幅に減った。このような状況に朝鮮人女工は黙ってはいられず、本社の他にも春木や堺の分工場で労働争議が起こった。会社側の弾圧は激しく、賃金保障をはじめとした労働環境改善の要求は叶わなかった。
講師を務めた金和子さんは、「朝鮮人女工たちの闘いは無意味なものではない。闘いの中でハングルの夜学や朝鮮人の教会コミュニティが次々と生まれ、解放後の民族教育にも繋がっていった」と語った。
留学同盟員の文リンゴさん(大阪大学3年)は、「現地に赴き当時の女工たちの思いを感じ取ることができた。とくに12歳の子どもの重労働、寝床環境の劣悪さ、少なすぎる給料などは衝撃的だった。後の食事会でも興味深い話を聞くことができ、また是非スタディツアーに参加したい」と感想を述べた。
【留学同大阪】